標 き な 日 々 

 

 

 JR東海道線の高架下を通りすぎ、変則十字路を左に方向指示器を出しながら

川添いを更に進む。300m程走り、左折して県境の川を渡って右に進路を変えて、

県道102号線へと走り続ける。 

何も言わずに帰り道を変えた垣内の気使いに本保薫は直ぐに気づく。

「カキさん、すいません・・・遠回りさせちゃって」

か細い声でボソボソと言って軽く頭を下げた。

「良いんだよ、明日は下で来てみようか。まぁ、気の持ちようだと想うけどな・・・」

垣内は、それ以上は何も言わず車を進めた。

「処で御袋さんの納骨は如何なっている?」

「あっ、済ませました。葬儀屋さんと自分、社長と社長の奥さん、なつみ、氏子会

 会長5人で」

「あっ、そうだ。そう言っていたな。悪い、悪い・・・色々大変だったな」

「はい、なつみと社長や奥さんに迷惑かけちゃいました。あの時、自分は納骨を目前にして、

 取り乱して俺、泣いてしまって・・・」

「それは、しょうがないだろう。皆、モッチャンの気持ちを分かっているよ」

 ありがとう御座います・・・ 薫は前を向いたままで、そう言って肩を落とした。

「俺は、分かっているよ。でも、なっちゃんは如何だか分からないけどな!」

「うえぇ~、惑わす事言う! カキさんは」

「元気だな、モッチャン・・安心だ」

 垣内は前方を見据えながらハンドルを握り、車を進めた。県道102号線に入ると山間の

 を走る急こう配の坂道が続くが、途中住宅団地の中を抜ける。景色は東方面に開けて

 標高が高くなって紺碧の相模灘を望めるようになる。山斜面を走るためか道幅は急に

 狭くなり、小型車両のすれ違いが難しくなる程に山が迫っている。

 峠越えの様に想える箇所を抜けると、車は七尾地内に入って景色は変わり・・・遠くに

 伊豆半島東側と初島が見え、白色の雲と青い空の額に描かれる様に見えた。

 此処から緩やかな下り坂が長く続き・・・垣内達が戻ろうとしている会社は、この道と

 交わる国道135号線の近くにあった。

「モッチャンもそろそろ運転免許を取りに行ってもいい時期じゃないか?」

 垣内がそう問い掛けるた。

「はい・・・もう少しで家の事も落ち着きそうだし、10月には神社の例祭が有るものですから

11月に入ったら入校の申し込みに行こうかと考えています」 

 はっきりとした口調で告げた。

「まだまだ、色々あるなぁ・・・勝又さんからも言われていて、電気工事の試験を受ける様に

 勧めてくれと言われているさ。まぁ、言われる方も大変だよな。でも、俺から見ても勝又さん

との仕事を見ていてモッチャンに一番合っていると想う。勝又さんも褒めているし・・・」

「本当にカキさん、勝又さん、ケンさん・・・皆さんに感謝しています」

ホッ?本当か!! おい、おい・・・下りが上り坂に変わっちまうぞ! と揶揄な言い方を

して垣内は意地悪い物言いをして本保に笑いを向けた。

 

 夏の陽射しが暮れかかり、伊豆の東側の山々の稜線が濃い橙と薄い青の縁取りに

なって闇色の姿を描くのを臨めた。

垣内が、社長の高橋と仕事の打ち合わせのために定時上がりが出来ぬ為、本保薫は

明日の支度を済ませると、熱海駅に向かうバスに乗るために国道135号の小学校入口の

バス停へと早足で会社を後にした。

(数分待ちかな・・・)

息を整える内にバスは到着した。乗り込むと数人の乗客だが車内は空席が目立ち、薫が

前の方の席に座ると低速で走り出した。バスは緩やかなカーブを幾つか抜けて赤い

欄干の愛染橋を渡り、五時過ぎの退社の渋滞にも引っ掛からずに足川の交差点を

通過する。熱海駅改札付近は帰宅する者、観光に訪れた者の多くの人達の雑踏音が

沸き立ち・・・その中を微塵も怯まずに引き込まれない様に改札を抜け、真直ぐ向いたまま

構内を進んだ。

ホームに上がる階段を一歩一歩行く本保薫の胸の内には、今日社長の高橋弘幸や

垣内修二から言われた事で、幾つもの想いを巡らせていた。

養母本保タネの事で 

『 タネ先生は普通の人じゃ無かったらしい・・・普通の人が見る事が出来ない、神霊世界が

 見られたらしい。人の前世、守護霊が見え、未来をも見る能力を持っていたようだ・・・

親父から霊能者だろうと聞いていた 』薫はそれらの事を養母タネの口から何も聞いて居らず、

十数年の二人の生活のなかで、そんな素振りも見せていなかったのである

(養母さんは・・・普通の人!)

『 タネ先生は俺にモッチャンが、本保家が祭主の南波神社の鳥居の下で倒れていたので

 自宅に引き連れて戻って自宅に上げたと聞いている。だが、親父がタネ先生から聞いた

 話では根府川駅の高架橋通路でモッチャンが蹲っていた処を通り掛って手を差し伸べた、

 と言っていたらしい・・・ 』

(根府川で?)

薫が本保タネと一緒に暮らし始め、数週間後に自我を取り戻した頃 何故自分が

此処に? と、問い掛ける事はしなかった。薫自身、当時の状況が朧な記憶に

在るため・・・自我を取り戻した以前の記憶が無かった事で問い掛ける事が

出来なかったのだろう。ただ、一つ言える事はタネと一緒に暮らしていた日々が苦痛や

1ミリの不満も無かった事が真実であり・・・薫自身もタネを直ぐ受け入れていたのである。

階段を昇りホームに立つと、電車の到着を待つ大勢の観光や帰宅する人達がホーム

中央に群がり、雑踏音を立たせていた。

本保薫はそれを避ける様に、西側三島方面へと向きを変えて歩き出して、最後方に空いた

ベンチを見つけて座った。

突然、ゴッーと背中を轟音が立ち、続いて乾いた風圧が養母タネの事に想いを巡らせて

いた薫の背中を押されて思考は停止させられる。それは新幹線車両が熱海駅を通過する

時の・・・痛みを感じない一撃。

(新幹線か!)

養母タネの姿を脳裏に浮ばせ、想いを馳せていたものが消されてしまい・・・その時、

無常感だろうか・・・ すっ!と肩の力が抜けて行く感覚に晒される。

(如何、自分には記憶が無いのだろうか?)

かっ、養母さん・・・ 小さな声を項垂れ見据える足元に落とすと、ブルル!ブルル!

胸ポケットに入れた社用の携帯電話が音を起てずに機体を震えさせて着信を知らせる。

(誰だろう?)

暗い霧の底に沈み・・・濃い闇が圧力を持って四方から押し込まれそうになり掛けて

いた。薫は、折りたたみ式の携帯を取り出して開き、送信元が誰であるかを画面に

目を向けると、表情が パァ~ と明るいものになり、心の中で  なつみ! と叫んだ。

電話を掛けてきた人物は門脇なつみであった。

「もしもし・・・」

「薫君、今何処?」

「帰る途中・・・熱海駅だよ、電車待ちさ。仕事中だろ、体調悪い?」

「う、うん違う。今、30分の休み時間なの・・・薫君、今度の土日はお仕事お休み?」

「明日の金曜日は仕事だけど、土日は休にしてあるよ」

あっ、よかった! と門脇なつみの声が弾んだ。

「何?」

「私、土、日、月って3連休なの、土曜日に小田原の耳鼻科検診で、その後補聴器の

点検と眼鏡を買い直そうと思っているの。一緒に行けないかなって・・・」

 駄目・・・ なつみの嫋な声が薫の耳を擽った。

「大丈夫、予定は無いよ!」

「本当に?じゃぁ!私明日は17時までの仕事なの、こっちに泊まらないで帰るわね。

 ちょっと遅くなるけど夕飯を作りに真鶴のアパートに行くね。一緒に食べよ!」

「駄目だよ、無理をしちゃぁ・・・車で帰ってくるんだろう?土曜日来ればいいよ」

「大丈夫、今の時期は未だ明るいから。早めに・・・上がらせ・・・もらう・・・」

 なつみの声が電車の到着を知らせるアナウンスで掻き消されてしまった。

「なつみ、今日から湯河原の家に戻るよ、湯河原駅に着いたら電話を入れ直すから!」

 本保薫は片耳を塞ぎながら大きな声で言うと、なつみの返事を聞いて電話を切った。

 すると目の前に熱海止まりの車両が滑り込むようにホームに入って来て・・・ドアが開くと

 乗客達が無言のままに一斉に下車して、まるで吸い込まれる様に階段へと向かって行くのを

 目で追った。