竜之介の妄想野球論 -2ページ目

竜之介の妄想野球論

プロ野球(特にドラゴンズ)についての妄想に基づいた野球論を語る事を目的にしてます

ドラゴンズは現在(5/27現在)リーグ5位とここ10年ではありえない程の低迷となっていますが

その10年の間の8年間、指揮を執っていたのが落合博満前監督であります

初回である今回のテーマは「落合博満という男」で行きたいと思います

落合は1978年のドラフト会議でロッテオリオンズ(以後ロッテ)から3位指名を受けて入団

その後、3年目の81年に首位打者、翌82年に成績史上最小で三冠王を記録、翌83年も首位打者を獲得し、3年連続で首位打者になっている

85~86年には史上3人目の2年連続三冠王、そして史上最多となる3度目(86年)の三冠王を記録している

86年オフには牛島・上川ら4選手とのトレードで星野新監督率いるドラゴンズに移籍、2年目の88年に4番打者として優勝に貢献するも、西武との日本シリーズでは抑え込まれた。その後は数々のタイトルを獲得するもリーグ優勝を果たす事は無かった。

93年までドラゴンズに在籍し、その年のオフにFA権を行使して読売ジャイアンツ(以後巨人)に移籍、移籍1年目の94年には4番打者としてリーグ優勝に貢献、優勝決定戦となった「10.8」のドラゴンズ戦で負傷するも、3戦目に「4番・指名打者」でスタメン出場、川相(現巨人ヘッド)の好走塁もあり、先制点となる内野安打を放ち、巨人の5年ぶりの日本一にも貢献している。実に6年越しとなる西武へのリベンジを果たした

その後、96年にも主に4番打者としてリーグ優勝に貢献、9月以降は左手首に受けた死球の影響もあって、日本シリーズのみの出場となったが、全試合スタメン出場で復帰を果たすも、その年のオフに清原が移籍する事もあって、退団、日本ハムファイターズに移籍するが、わずか2年で引退、代打に始まり、代打に終わったプロ野球選手人生であった。

99年からは評論家になるも、01年に森監督が就任した横浜ベイスターズの臨時コーチを務めた事はあった。

落合の転機になったのは03年の事である

この年、3年契約で2年目である山田久志監督率いるドラゴンズは阪神の独走やケガ人の影響もあり、開幕から成績が停滞気味、更に終盤の9月には山田監督の休養=事実上の解任が決定。これを機に白井文吾オーナーの意向もあり、「勝てる人材」を探す事になった

ドラゴンズはその後、佐々木監督代行の尽力もあり、一時は5位だった成績から阪神に差を付けられながらも3年ぶりの2位に落ち着く

その後、落合の監督就任を発表。落合自身は辞退も考えていたが、信子婦人の意向もあり、就任を受託した

(続)