カータンの水木しげる追悼文に泣けた。
カータンとか会社の人とか
こういう昭和の思い出を共有できるのは幸せ。

小さいころは
「妖怪」がいる気がして
トイレに行くのも怖くて
小6までおねしょしていた。

決まった通学路を
たまに外れて歩くと
その道は昼間なのに、なぜか暗くて
夏でも、温度が2、3度下がってる気がして
ダッシュで駆け抜けた。

まぁ、リアルにうちの実家は
山の向こうが鉄条網のフェンスに囲われた
米軍の燃油場で、乗り越えたら
赤鬼がいたし!
近くの海では、土用波が
人をさらっていったんだけど。

毎朝すれ違う
身長が190cmほどある
「ビッグ・ベン」と呼ばれるおじさんを
怖れていたら、
自分が進学した学校の英語の教諭だった。
だから「ビッグ・ベン」だったのか!

あの頃は異形の者は
すべて妖怪だと思ってた。
二の足を踏み出せない暗闇の向こうに
妖怪がいると信じてた。

冬の日に、突然切り傷ができるたびに
「カマイタチがいる!」と逃げ帰った。
今や、自分が「カマ」ですよ!
「イタチ」じゃなくて「ネコ」だけど!


夕闇が怖くて、見えない何かを畏れてて
親に言われなくても
自ら家に帰った。眠りについた。


世界が怖かった。
夜から、妖怪から、
自分を守ることで、自衛することで
危機管理能力を
身に付けていけてたのかもしれない。

自分のなかで、引き返しどころを
覚えていけたのかもしれない。


電車に貼られてる水木さんの
平和展示資料館のイラストが怖かった。

(井上ひさしさんの顔が苦手になったもん!)
水木さんのパプアニューギニアの話が怖かった。
そして左腕のない水木さんが怖かった。
水木さんが身を以て、訴える戦争が恐ろしかった。
戦争が怖かった。


何も経験せずに、失わずに
偉そうに、「国際社会の中では…」と
「戦争や軍拡の正当性」を語る人より、
水木さんの失われた腕のほうが雄弁だった。

妖怪も水木さんもいなくなってしまった。
闇がもうない。
いや、人間の世界のほうが怖いよ。