まどろむ、ってなんて素敵な言葉なんだろう。

暖かい光が頬をやわらかく照らし、いいにおいの白いコットンのシーツが肌につるつると気持ちいい。
起きてる、と寝てる、の中間地点。目覚ましもかけてない。誰にも追い立てられず、ただただ、気持ちいいことにだけ集中して、怠惰をむさぼる。

寝返りをうつと、ごつごつ、じょりじょりとした人肌の塊にぶつかる。あまりにもこの陽だまりのやわらかさの中の異質な感覚に、いとおしさがあふれ、ふふふ、と笑う。

そのじょりじょりのラインの下、それでも柔らかい首の薄皮に、鼻先をこすり付ける。ごつごつと私の身体の間に、つるつるのシーツを挟みこんだまま、ひざを絡ませる。力強い生命のリズムに耳を押し付ける。



あなたがいてよかった。



声を出さずに、唇の動きだけで肌に伝える。ごつごつの腕が、シーツと一緒に私を包み込む。


こんなに動きを封じられては、これ以上、手が出せないよ。

こんなに素敵なまどろむ時間を邪魔しようとした私の計画は、ごつごつの無意識によって阻止されてしまった。
あなたの名前が、唇から滑り落ちる。

何度も呼んだ名前。ふざけて、呼び捨てにした名前。

いつのまにか、特別になっていた名前。

あなたの名前が、唇から滴り落ちる。

Morningと韻を踏む、あなたの名前。

優しい笑顔で答えてくれる、あなたの名前。

潤んだ音を帯びて、漏れる吐息と重なるように。

うわごとのようで、切れ切れな声とは裏腹に、強烈に欲している。

あなたの名前。

唇で味わう。

黒目がちな瞳、いつも視線は私からそらした。

深追いしてはいけなかった。

あなたの名前が、唇から離れていく。

当たり前だと思っていた場所は、永遠ではなく。

私の唇が、音もなくなぞる。

あなたの名前を。

ほんとうは、何度も。




「…なにが、あった?」


彼が私のオフィスに立ち寄ったのは、偶然だった。
それは、私が電話を切るのと同時。私はとっさに顔を作ることができなかった。

その電話はあまりにも衝撃的で、心労は私の表情にありありと表れていた。

がさつなくせに、もともとそういったことに鋭いこの同僚は、さすがに知らないふりで世間話をすることはできなかったらしい。私がほのかに好意を寄せる彼は、聞き上手。ただ、今日の彼の仕事量は知っていた。しょうがないな…軽く話したら気がまぎれるかもしれない。そんな気持ちで彼に語り始めることにした。

離婚はやっぱり簡単なことじゃない。数年経っていても、それにかかわる様々なことが、複雑な糸になって絡み合って、話しても、話しても、解きほぐすことができないでいた。

彼は、私の前に深く腰掛け、まっすぐに私の話を受け止めてくれていた。離婚家庭に育ったせいか、未婚であるのによく話をわかってくれた。的確な質問で考えの整理をつける手伝いをしてくれている。

「別に今日にはじまった話じゃないから、よくわかってるつもりなんだけど…」

あれ。私は少し、自分が泣きそうなのを感じた。平静をよそおい、涙を押しとどめる。
ここは職場。プライベートの話をしてるとはいえ、それは彼にしちゃいけない。

「そのときのお前はそう思ったかもしれないけど、それは善悪の問題じゃない」

…あれ。

「お前は悪いことをしたわけじゃない」

また、あやうくこぼれてしまいそうな涙を感じる。少し、視線を移して、波が去るのを待つ。悟られてはいけない。


「…なんで我慢するんだ」


彼は、ふわっと両腕を私に巻きつけて、それからぎゅっと強く私を抱きしめた。

「泣いていいよ」

「…!」

彼の腕の圧力で押し出されたかのように、涙がぼろぼろとあふれてきた。
包まれたままで声を押し殺して泣いた。上を向いて、彼のシャツを汚さないように。

「まったく、お前は賢いのに頑固だね」

彼は軽く私の後頭部を押すと、私の顔を胸にあてた。

「…ごめんなさい」

「強がりもいい加減にしたほうがいいよ」

こんなとき、人のシャツの心配なんかしてるな、と彼は笑った。