私の母は、ガンで1年前に亡くなりました。





この話は、ずっと綴ってきたので過去の記事を読んでもらえるとありがたいです♡

私は、2歳上の兄がいます。

父は長男で、兄は長男の長男ということで、かなり周囲から期待されて育てられていたのを覚えています。

父には、弟が二人いました。

その弟二人の家族と近所に住んでおり、一緒に会社経営をしていました。

最初は仲良く経営していましたが、そのうち仲違いが生まれて真ん中の弟が自立し、次に父が自分で会社を立ち上げて、最初に作った会社を弟に託した形で終わりました。

 

その頃から、いざこざが絶えずありました。

父はその中に入るのがすごく嫌で、自ら作り上げた会社を弟に譲ってしまったので、最初からスタートした時は、お金がなくて貧しい思いをしていた時期もありました。

 

そんなあるとき、父のお母さん、私にとってはおばあちゃんが引っ越してくることなりました。

しかし、私に母と気が合わずに近所にアパートを借りて住んでいました。

そのことを、弟嫁二人に文句を言う毎日で、母はすごく疲弊していました。

母は、気丈な人だったので、誰にも文句を言わずに過ごしていたと思います。仕事もハードで、夜は午前様は当たり前で、家の食事を作るためだけに帰ってきては、また出勤していたのを覚えています。

母はいつも不機嫌でした。

体のあちらこちらを痛がっていました。

母の笑顔はあまり見たことがありませんでした。

私にとってすごく尊敬する人ではありましたが、母のようにはなりたくないとずっと思っていました。

母の母は、私が生まれる年に亡くなりました。一番いてほしい時期に亡くなってしまったと、ずっと残念がっていました。

母は、母の両親をすごく尊敬していました。

母はとても両親に依存していました。

神様のような存在だったと思います。

母は9人兄弟。

下から二番目で、末っ子のようにかわいがってもらったそうですが、9人の兄弟の中で育っているせいか、母親の愛情をフルでもらえなかったということがずっと寂しかったと話していました。

また、商売をしていたいので、座敷にはいつも知らないお客さんやお酒の場が多かったため、酒乱の人が来たり、男女の関係を見てしまったとかで、かなりトラウマも持っていたことも話していました。

母は、私が高校生になると、堰を切ったように話し始めました。

私が大人になって、話を理解するようになった頃から、いつも愚痴をこぼすようになりました。

嫁姑は最悪だった。兄弟の仲違いがひどかった。会社を運営するしんどさ。今まで黙って過ごしてきたことが、こぼれるようにあふれてきました。

その話を聞くたびに、ほんとうにつらかったんだろうなって、とてもかわいそうな気分になりました。

母は、苦労話をするのが好きでした。

暇さえあると、昔に苦労話に花を咲かせて、今のお前らは幸せでいいんだから感謝しない!とよく言われてました。

 

さて...前置きが長くなりましたが...

母は昔から「我慢」の塊だったということがわかりました。

その象徴が、おばあちゃんの存在だったのです。

母の母は、とにかく9人を育てるのに必死で家を守ってきた!素晴らしい人!と話していましたが、その反面、自分の事ばかり押し付けてきて、私にことは蔑ろにしてきた...と話すときもありました。

兄の事ばかり相手をして、私の事はこき使っていたから、母はとても楽だったとも言っていました。

話を要約すると...

もっと構ってほしかった

もっと愛されたかった

もっと褒めてほしかった

という内容を遠回しにしていたのを覚えています。

 

ん????

これ、私も母にずっと思っていたことだった。

 

ん????

 

なるほど!!!!

ということは、私の娘も同じことを感じているはずだ!と思ったら、すごく泣けてきました。

 

私も母にすごく似ているなって思っていました。

やけに厳しくなってしまう自分に、嫌気がさしてしまうときもあります。

自分の要求を満たしたいがために、子供の要求を後回しにしてしまったり、八つ当たりをしてしまうときもありました。

 

その時、子供は、私を優先してくれるのです。

私も母にそうだった...

そして、母もおばあちゃんにそうだった....

 

「時代は繰り返す」といいますが、

親子も繰り返すのですね。

 

私の母は正直「毒親」でした。

「親の言うことは正解なんだから!」

「親に逆らうな!」

「誰に食わせてもらってるんだ!」

「面倒だから、お前が黙ってろ」

「お前はどうでもいいけど、孫はかわいい」

「お兄ちゃんのほうがかわいそうだっだんだ、お前はまだましだ」

そんなことを言われてきて、私はいつも気丈なフリをしていました。

「はいはい...私はどうせ二番目だから...」と心でやり過ごしてきました。

 

そんなある日、私は母にすごい剣幕でぶちぎれてしまったことがありました。

私は、子供が3人いて、兄には子供がいませんでした。

そして、私が妊娠しているときに、兄嫁さんは不妊治療をわざわざ私の家の近所の病院に通い始めたのです。車で1時間30分かけて...

兄の住んでいる町のほうが、はるかに都会だし、不妊治療に適している場所はあったはず。なのに...

不妊治療を頑張っている兄嫁の横で、妊娠している自分がとても悪いことをしているような気分になることがしょっちゅうでした。

ひどいときは、週末はお泊りで治療をして、治療で心身共に疲れているからごはんの支度は全部私。まだ、子供が小さいから家で騒いだりする。そうすると神経過敏になっている兄嫁は、子供をにらみつけて威嚇する。

子供はとても敏感です。

その威嚇は、私にも来ました。

妊娠している私。不妊治療をしている兄嫁。

明らかに一緒にいるのは、どちらも辛いのです。

どちらも確実に辛いのです。

そこに優劣って存在しますか?

なのに...

私には母にこう言われました。

「お兄ちゃんが一番つらいんだから、お前は我慢すればいいんだよ」と....

 

私は絶望しました。

いつも兄嫁は、かばってもらえる。

でも、私は我慢しろって言われて終わる。

 

お前は、子供が授かれて住む家もあるんだから、それぐらい我慢しなさい!と。

 

その瞬間...糸が切れました。

 

「私だって我慢してきた。いつも二番目二番目って。兄嫁が毎週来て身動き取れないのに、どうして誰もなんも言わないの?わざわざ遠いところまで来て辛い治療をするの??どうして、私と子供だけがこんなに気を使って過ごさないといけないの???おかしいでしょ!!!!」

 

「お母さんだってわかんないよ!!!!お母さんだって辛いんだから!!!!」と逆切れされて終わりました。

 

ん...

 

言わなきゃよかった...

 

そう思いました。

 

 

続く