[由来]

小学生の頃、姉の部屋にあったコシノ・ジュンコ著「おしゃれ入門」に出会って以来、すっかりファッションやおしゃれの世界に魅せられた一人の男がいた。やがて中学、高校と年を重ねる中で、ひそかにファッションデザイナーになる夢を抱き続けた男だったが、彼が生まれたのが祖父の代から国会議員という政治家一家だったため、泣く泣く夢を諦めて政界に進出。その後、実家の強大な地盤に支えられたこともあって順調に政治家としての地位を高めた男は、遂に内閣総理大臣に就任した。こうして政治家としての最終目標ともいえる立場に立つこととなったが、かつて諦めた夢の反動か、首相官邸内で過ごす時間さえ斬新なシルエットのモード系ハイブランドで身を固めただけでなく、全議員を対象とした国会議事堂内でのドレスコードを設けたことから、少しばかりおしゃれにうるさい高感度な国民たちを中心に「シャレオツ内閣」の異名で呼ばれることとなった。

 

[足跡]

そんな「シャレオツ内閣」総理は就任すると同時に我が国国民の“オシャレベル(おしゃれのレベル)”の底上げを宣言すると、アパレル業界への税制優遇やデザイナーの卵たちを対象とするフランス、イタリアといったモード大国へのファッション留学支援制度の拡充などに力を入れた。また、総理自ら立案した法案「おしゃれ難民救済法」を成立させると、政府独自のルートで調達した大量のおしゃれ古着を全国の自治体を通して希望する国民に無料配布。これにより、おしゃれ弱者の国民を長年悩ませてきた「服を買いに行く時に着ていく服がない問題」を華麗に解決してみせるのだった。さらに、国選弁護人ならぬ“国選スタイリスト”を全国に新設した「おしゃれ救済センター」に常駐させて24時間体制で国民のコーディネート相談を受け付けるなど、生まれてこのかたファッションのことなど1ミリも考えたこともないようなクソダサ国民たちを強力バックアップした。このような「シャレオツ内閣」の取り組みは海外にも届き、遂にはモードの国フランス大統領直々の招待を受ける形で電撃的に日仏首脳会談が決定。この一世一代の晴れ舞台ともいえる会談に臨むため勇んで渡仏した総理だったが、実はひとりのおしゃれ愛好家としては“フランス“というおしゃれ先進国に極度のコンプレックスを抱いていたため激しい緊張に見舞われ、あろうことかスーツを上下あべこべに身につけた上、足は裸足、頭には逆さまにしたローファーをちょんまげのように乗せてネクタイで縛りつけるという珍妙極まりないスタイルで会談の場に姿を現した。この歴史的ハプニングを衛星中継のテレビで見ていた国民全員が「総理の政治家生命オワタ!」と心中で絶叫したが、意外なことに元前衛芸術家という肩書を持つ会談相手のフランス大統領はこのある意味アバンギャルドなファッションを絶賛。これによりファッション関連をはじめとする今後の貿易分野での建設的協力関係を約束させるなど、この会談は大成功に終わったのだった。こうして一時のピンチが嘘のようなホクホク気分で帰国の途についた総理は、会談後の市内観光で訪れたエッフェル塔前で撮影した禁断の「エッフェルポーズ」画像が帰国後にSNSへ流出し、怒れる国民と○春砲の十字砲火(クロスファイア)を浴びることになるとはつゆ知らず、本場で仕入れたファッション雑誌を読みふけりながら束の間のくつろぎタイムを満喫するのだった。