[由来]

一部の狂信的なスイーツ好きの支持により爆誕したものの、眼に余るほどのスイーツ偏重主義の政権運営が国民の不興を買ったため、志半ばにして姿を消すこととなった「スイーツ内閣」(■第1内閣参照)。だが、「スイーツ内閣」元総理は決して諦めてはいなかった。総理辞任後、与党を離脱した彼は、国政と我が国スイーツ界に革命を起こすべく、新政党「フラクトオリゴ党」を結党。時を同じくして出現した「立憲カリン党」「令和こんぺい党」といった方向性を同じくするライバル政党たちとしのぎを削るうち、奇跡のスイーツパワーが炸裂したのか、とうとう内閣総理大臣へと返り咲き、待望の第二次「スイーツ内閣」を船出させることに成功した。

 

[足跡]

こうして再び総理大臣となった彼は、就任後初の施政方針演説において、肝心の政策方針などそっちのけでスイーツの素晴らしさや、スイーツがいかに国民の生活に癒しと潤いをもたらしているかについて実に数時間に渡って語り続けるなど、かつてとまったく変わらない姿を見せて国民に呆れられつつ、一種の安心感を与えるのだった。これも「スイーツあっての国政、スイーツあっての人生」という言葉を自ら唱え、実践する彼の人徳のなせる技であったのだろう。また、スイーツがらみの交渉で我が国に利益を導くことに長けた総理は、アメリカ合衆国を相手に我が国が誇る伝統の天然系スイーツ「あんぽ柿」を安定供給する代わりに、アメリカの広大な農地で育てられた上質なサトウキビを格安で輸入する権利を条文化した「日米あんぽ条約」の締結を実現。この我が国スイーツ業界と当該内閣の悲願ともいえる快挙により、いよいよ国内のスイーツ愛好家からの支持を高めたが、逆にスイーツなどあまり興味のない一般の国民たちとの温度差は広がるばかりであった。その後、支持と不支持が拮抗する一進一退の状況下での苦しい政権運営を余儀なくされた「スイーツ内閣」だったが、総理企画の世界中のありとあらゆるスイーツを集めたスイーツの祭典「スイーツ万博」開催費用に多額の血税が投入されている事実が明るみに出ると、とうとう国民の怒りが爆発。野党の激しい突き上げによって、急遽開かれることとなった「スイーツ倫理審査会」の場で苦しい弁明を繰り広げた総理だったが、時すでに遅し。またしても辞任の憂き目を見ることとなった総理の野望は、まるで口に入れた途端に溶けてなくなる甘〜い綿菓子のように儚くも消え去ったのだった