[由来]

国を、政治を、人生を、そして生きとし生けるものすべてをこよなく愛する一人の国会議員が、この愛なき時代にあらがうかのように内閣総理大臣に就任。駐留米軍の経費とは無関係な社会的弱者救済のための追加予算である「シン思いやり予算」を自らのポケットマネーから捻出するなどしたため、この純粋な善意からの行いに感動した国民から「博愛内閣」の愛称をもって称えられることとなった。

 

[足跡]

「博愛内閣」総理の国政に向けた愛情の深さは、首相官邸では飽き足らず国会議事堂内に寝具などを持ち込んで寝泊まりするという奇行にもよく表れていた。また、忙しい政務のかたわら自らが率先してホームレスの炊き出しなどのボランティア活動に精を出す一方、全国会議員にそれぞれの地元での一定時間のボランティア活動を義務づける「国会議員人徳向上法」の成立をひそかに目論むのであった。しかし、いかに善意に基づくとはいえ、ある意味総理のスタンドプレーともいえるこれらの政策や取組みの数々をこころよく思わない与党内別派閥と野党対抗勢力が手を結び、ゴシップ週刊誌なども利用した総理と内閣に対する一大ネガティブキャンペーンを展開。これにより、遂には政権を手放さざるを得なくなった「博愛内閣」総理だったが、ここでも総理の政治的スタンスの軸がブレることはなく、最後まで誰を恨むわけでもなく粛々と退任の日を迎えたのであった。こうして思いのほか短命に終わった「博愛内閣」であったが、総理の退任後、内閣府ホームページには総理が行った数々の善行に感銘を受けた国民からの総理を擁護する趣旨のご意見メールが殺到。図らずもアメリカの作家カート・ヴォネガットの金言「愛は消えても親切は残る」を体現してみせることとなった。