[由来]

「物質は有限だが、精神は無限である」というフレーズを座右の銘とする与党最大派閥の有力議員が内閣総理大臣に就任。ゴリゴリの精神主義者である彼は何をするにも人間の“気合い”を重視し、閣僚指名の際も一列に並んだ候補者たちと総理自らが順番に激しく睨み合っていくことで“気合い”の入った者だけを選別し各大臣に任命していくという、某地方に伝わる有名な喧嘩祭りの神輿の担ぎ手の決め方と同様の方式を採用したことなどから、国民の間でごく自然に「気合い内閣」と呼ばれるようになった。

 

[足跡]

当該内閣発足直後の社会情勢は円安や物価の高騰などいつにも増して問題山積の状態であったが、「気合い内閣」はこれらをすべて“気合い”ひとつで切り抜けて見せることで国民に「人間、気合いさえあれば意外と何とかなるものだ!」との意識を植え付けることに成功した。また、その活躍は国内の政治のみに止まらず、諸外国との外交においても「人種が違っても相手の目を見れば想いは通じるもの」との信念のもと、海外の要人たちと総理や外務大臣がお互い力の入った眼差しを交わし合うことで言葉を交わすことなく想いを伝え合う「気合い外交」を展開することで一定の成果をあげたのだった。そんな総理や閣僚たちが先頭に立ち、自分たちも含む全国民に尋常じゃないレベルの節約をさせることで浮いたお金をいわゆる「気合い税」として徴収することで我が国にとって長年の懸案であった財政健全化に道筋をつけることに成功した。しかし、元々常識外れなこの政策の責任をとる形で最後の記者会見に臨んだ総理は、目から血、耳から炎を噴き出さんばかりの裂帛(れっぱく)の気合いを込めて辞任を表明。これには居並ぶマスコミ連中も忖度せざるを得ず、自慢の文○砲も奇跡の沈黙を守ったのだった。