田村丸先生が亡くなりました。
丸先生は、僕が一番最初に演劇というものに出会わせてくださった方です。
舞台というものに全く興味の無かった僕は、当時、役者として何をどうしたらいいのか分からず、取り敢えず、という気持ちで田村丸氏が演出している舞台に参加しました。
初舞台のセリフはたったの二行。
出番はそれだけ。
上演時間は二時間強。
舞台上が暗転になって袖にハケるまでに「お疲れ様でした」と共演者に言っていたのを思い出します。
それだけの為に二ヶ月稽古しました。
出番の無い日がほとんどです。
それでも毎回稽古場に行きました。
先輩方の演技を観るという事が楽しかったのです。
共演者たちとあーでもないこーでもないと話すのが楽しかったのです。
丸先生の創る芝居が楽しかったのです。
それから、舞台というものにどっぷりとハマり、
今年で26年目です。
あの時、丸先生に出会わなかったら、ここまで続けてなかったかも知れません。
あの時の舞台が面白くなかったら、一回で辞めていたかも知れません。
丸先生が僕の人生を変えました。
それから僕も、おこがましくも先生という立場になりました。
丸先生の様な存在にはなれないかも知れませんが、
近づけたらいいなと思います。
そんな人達が日本全国に数え切れない程居ると思います。
その劇団で一緒に過ごした仲間たちもかなりの影響を受け、その誰もが「恩師」と言います。
しかし、正直言いますと、
僕は「恩師」とは呼べるくらい近い存在ではありませんでした。
人生を変えるくらいの多大な影響を与えてくださったことは事実ですが、
僕には、口を聞くこともままならない、ただの怖い存在でしかありませんでした。
なぜなら、僕は丸先生に認めてもらったという感覚が一度もないからです。
「恩師」と呼ぶ人は、往往にして丸先生に認められたという感覚のある人たちだと思うのです。
有り難い言葉ももらった事もありません。
それは、僕が原因なのかも知れません。
でも在籍していた期間、僕は認められたという感覚になったことがありませんでした。
いただいた言葉で覚えてるのは、
「逃げてるんじゃないの?」です。
その当時、他の劇団に出演することが出来ないという風潮がありました。
丸先生にそこまで恩義を感じてない僕は、外でも勝負したいと思っていました。
大きな舞台のオーディションを受け、それに合格しました。
しかし、劇団の公演を休まないといけませんでした。
それでも、こんなに大きな舞台に受かったのだから喜んでもらえるだろうと丸先生に報告に行きました。
その時言われた言葉が「逃げてるんじゃないの?」でした。
僕はショックでした。
やはり認められてなかったんだと思いました。
その時から僕の先生に対する想いは変化しました。
余計に口を聞かなくなり、どんどん疎遠になっていきました。
劇団を辞めて、何年後かに丸先生の創った芝居を観に行きました。
演目は『三銃士』でした。
僕が在籍していた頃、僕の役は1幕で出番の終わる「宿屋の主人」という役でした。
終演後、久し振りに丸先生に会いました。
その時先生は、
「あ、アトス(三銃士の1人)がここに居るよ!」
と仰ってくれました。
…早く言ってよ。
その言葉をずっと待ってたのに…!
僕は胸が熱くなり、泣きそうになるのを堪えて、力無く
「ははは…」
と笑うだけでした。
先生、僕はあの時のあの言葉、とても嬉しかったんですよ。
でも素直に伝えられなくてすみません。
だから僕はダメなんですね。
そういう所を直さなきゃ芝居が上手くならないんですね。
だから今日、今から会いに行きます。
ただの怖いだけの、「恩師」とまで呼べない存在の先生だけど、
素直になってみます。
だからまた優しく迎えてくださいね。
待っててね、丸先生。