日本一の標高を誇る富士山ですが
いろんな場所から見ると絵になりますよね。
私は飛行機から見下ろした
富士山が好きです。
特に台風シーズンだったと記憶しますが
灰一色のよどみの雲海から湧き出る富士の頂
自然の驚異ですね。
over the mountain ♪
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で。このニュース。
マンションでもめることの多い国立市ですが(笑)
はっ?マジですか。という感じです。
分譲を担当したメーカーのお知らせ
https://www.sekisuihouse.co.jp/company/topics/library/2024/20240611/20240611r.pdf
一応建物関連のお仕事をしている私ですが
完全撤去というのはまずあり得ないです。
相当の損失が出ますから企業としても「大英断」でしょうか。
(英断が適した語句であるかは置いといて)
反対していた住民も「まさかそこまで…」と困惑しているとのこと。
私は埼玉の某場所でマンションを購入する前に不動産の方へ
「反対問題ってどうしているんですか?」
とまあよく回答し辛いことを聞いたもんです(苦笑)
分譲中に下見へ行ったときに周囲で建設反対の旗(のぼり)とか立ってていたら嫌ですもの。そこまでしてその地区に住みたいとは思わない。一介のサラリーマンが大枚の金をかけるならなるべく穏便に済ましたい。
住むところを探す方はそういう思惑を抱くのは当然でしょうか。自治体の方でも住民誘致に対して、特に人口が半端に少ない地域では、住宅取り扱い企業には頑張って営業してほしいのでは。
ひとつ言えることは国立市は
慢性的な財政難で有名なのです。
でも東京西半分の郊外で財政的余裕なんてある自治体はあるのかな(とフォローしておきましょう)
積水ハウスの本社がある梅田スカイビル(大阪)
大阪からは富士山が見えないので
もちろん問題は発生しません。
....いや
屋上から見えるのかな。
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過去マンション訴訟問題で話題になり
景観条例という強力な法律を駆使する
この国立市とはいったい?
100年前の大正時代。
関東大震災で教訓で集中を避けるため都市計画を見直さなければならない。住宅事情もさることならがら道路を走る電車(路面電車のこと)の存在と乗用車、1924年には2万台に増えた。
箱根土地という今の西武グループの前身である不動産会社が郊外の開発に着手した。
(マップ今昔より引用編集)
左のモノトーン地図が開発前。右が現在の国立。
緑のマーカーが「富士見通り」
ピンクが国立市景観条例重要地区である桜ストリート「学園通り」
明治末~大正期。
現在の中央線と甲州街道(国道20号線)の間は何もない。地図記号を見ると雑木林か畑?人が住むのは甲州街道沿いか国分寺あたり。まだ三角屋根の国立駅もない。
次は箱根土地が開発した1924年あたり。
国立駅も出来ている。
碁盤の目のような道路が作られ国立大学町と記名されている。
東京商科大学(今の一ツ橋大学)音楽大学も見える。
つまり学園都市を目論んだのが解る。
元祖、とあるシリーズとか魔法科高校の発祥の地かよ(笑)
民間輸送インフラ整備として南武線も通っている。
申請だけでしたが渋谷~国立の鉄道敷設計画もあったとか。
この頃移り住んだ人達には余裕で富士山見えたよな
(くにたち郷土資料館資料より引用)
ぜひ国立にお住みください!の勧誘はがき。
今の中央線の本数と比べ物にならないほどゆるい汽車時刻表。
開業した当初は蒸気機関車で単線だったからか。
東京駅まで1時間とか意外と早い(現在乗り換え案内で50分前後)
『電車の方は国分寺で下車。乗合自動車(バス)で5分かかりますが混みますから可成汽車でどうぞ』との注釈。
って、5分で行くのか。道路混んでない・・・・混みようないし(笑)
※可成(なるべく)
ちなみに国立駅と立川駅は昭和4年(1929年)まで複線電化完了。
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グーグルのストリートビューで確認しましたが
両側沿道沿いの建物によっては
通りの先の景観は何とも微妙。
この種の問題って「遠近法」と道路幅の設定により変わってくる。国立の富士見通りと同じく「富士見通り」を持つ八王子北側をストリートビューで歩いてみたが、富士山どころか空も狭い(仕方がない)
これを見事に解決クリアしている場所といえば
目指す先は富士山ではないが(ある意味神様が鎮座する場所)
両幅約30m
鎌倉の若宮大路か。
ご存じの方もいらっしゃいると思いますが
段葛を歩くと両サイドの建築物が目に入らない。
歩行者専用通路が道路真ん中というのも安全上難しいがこういうのも一つの手段かもしれない。
※あった。名古屋と仙台。