本来無一物(ほんらいむいちもつ)
「本来無一物」とは、「もともと何も持っていない」という意味の禅語である。
人は生まれたとき、肩書きも財産もなく、空っぽの手でこの世に現れる。つまり、本来の自分には執着するものなど何もない、という教えだ。
しかし、成長するにつれ、私たちは多くのものを手に入れる。学歴、地位、名誉、お金、人間関係と、気づけば、それらに縛られ、失うことを恐れて生きている。
けれども、ふと立ち止まり、この言葉を思い出すと、すべては後からついた「飾り」にすぎないと気づく。
何も持たず、何にもとらわれないとき、人はもっとも自由になれる。たとえば、大切なものを失ったときも、それが本来の姿に戻っただけと思えば、少し心が軽くなる。
「本来無一物」は、諦めではない。むしろ、執着を手放すことで見えてくる、澄んだ自分との出会いである。余計なものを脱ぎ捨てて、ただそこに在る。それだけで、人はすでに満ちているのだ。


