「本来無一物」(ほんらいむいちもつ)
もともと何もない、という意味である。
禅では「執着を捨てろ」と繰り返し教えるが、この言葉はさらに深く、そもそも最初から何も持っていないという真実を指し示している。
生まれたとき、私たちは手ぶらでこの世にやってきた。
そして、死ぬときもまた、何一つ持っていくことはできない。
では、今握りしめているものは何だろうか。物質的な財産だろうか、それとも名声、地位、愛情か。どれも幻想にすぎないと、この言葉は言う。
執着しているそれらは、まるで夢の中の宝物のようだ。目が覚めれば、すべてが消え去る。
だが、「無い」と気づくことは恐れではなく、解放である。何もないからこそ、すべてを自由に受け入れ、軽やかに生きられる。木々の葉が春に芽吹き、秋に散るように、ただ流れのままに。
本来無一物。空っぽだからこそ、この世界はこんなにも満たされている。そう気づいたとき、私たちは初めて手放しの安らぎを得られる。


