人は、どうして、パワハラをするのか?
パワハラという言葉がいつから定着したのか、わからないが、パワハラを報道で目にしない、パワハラを見聞きしない日はない。
人ではない。
人の上に立つ人、上司と呼ばれる人は、どうして、パワハラをするのか?
パワハラじゃない。指導だ‼とパワハラと指摘されても、微塵も感じない人もいるだろう。
でも、相手の立場に立って、物事を考えたとき、自分がパワハラをしていないといっても、周囲はそうとは認識はしていないから、いくら指導と言い張っても、通用しない。多数決で負けてしまう。
それでも、パワハラじゃないと言うだろう。
そういう人もいる。でも、相手の立場に立って、考えたことはあるのか?
パワハラを受けた人が、どんなに苦しみ、嘆き悲しんでいるのか、考えたことがあるだろうか。
私もかつて、パワハラをしていたかもしれない。
その自覚もある。本当に、申し訳ないが、でも、致命的なことにはなってないし、指導されて感謝されたり、今でも慕ってくれる人も多い。
とはいえ、それに甘んじてはいけない。
相手の立場に立ち、相手が不快だと思えば、パワハラだろう。
パワハラを受け、退職したり、自死する道を選ぶ人もいる。パワハラはあってはならない。