無功徳(むくどく)

 

「武帝(ぶてい)が達磨大師に尋ねた。『私は即位して以来、寺を造り、経典を写し、僧たちの出家を助けてきた。それは数え切れないぐらいだ。これにはどんな功徳があるか』と。すると、達磨は『いずれも功徳などない』と言い切った」

達磨大師はインドから中国に渡り、禅を伝えました。中国に着いたとき、最初に会ったのが梁(りょう)の武帝でした。

(出典:「くじけない心をつくる禅の言葉」(著者:田中治郎。発行:日本文芸社))

 

 

 見返りを求めない。

 見返りを求めないこと。

 見返りを求めてはいけない。

 

 ギブ&テイクではなく、ギブ&ギブである。

 常に与え続ける。別にお礼の気持ちも要らない。

 お礼がほしいと思ってはいけない。

 

 お礼がほしいと期待した時点で、功徳はなくなる。

 とはいえ、心の片隅に、お礼はあるだろうと私なんかは期待してしまう。片隅ではない、心の中央かもしれない。

 

 無功徳。功徳は無、である。とてもわかりやすい。

 難解な禅語もあるけど、やはり、平易な禅語がいい。

 その文字だけで、意味がわかれば、誰もが理解できる。

 

 難しい言葉、漢字だと、近寄りたくないというか、最初から、構えてしまう。

 

 脱線してしまったが、無功徳がかみしめられるよう、まずは、功徳を施す努力をしないといけない。

 功徳を施す、世のため人のためにすることがあたりまえのようにできたとき、無功徳の意義がわかるだろう。