役所や企業で不祥事や問題事案が起きたとき、再発防止策を熱心に、ことさら時間をかけて説明する場面を観ることがある。
私は再発防止策よりも、不祥事や問題事案の発生により直接被害を受けた人たちに、平身低頭、謝罪の気持ちを述べること、誠意をもって補償することを丁寧に説明すべきと考える。極論だが、再発防止策に言及する必要はないと思う。
その考え方は間違っていると指摘されるだろう。
しかし、大切なことは不祥事や問題事案の発生により被害を受けた方への謝罪と補償であり、再発防止策を強調するのは論点をすり替えていると思う。
つまり、被害を受けた方々はどちらかといえば、少数が多く、再発防止策の対象者は全体の人たち、大多数の人となる。マスコミは再発防止策にも関心が強いから、再発防止策を主役にすれば、再発防止策に世間の関心を向けることができる。
被害を受けた方々とは個別に補償することであり、それはちゃんとやるからと説明しておけば、再発防止策に関心を向けさせることができる。
また、こちらに先に言及すべきであったかもしれないが、謝罪会見で、
「この度は、ご迷惑とご心配をおかけし、大変申し訳ありませんでした」
というセリフをよく聞く。
謝罪の言葉と評価したいが、私はそうは思わない。
“ご迷惑”、“ご心配”。この2つのフレーズに違和感を覚える。
ご迷惑、ご心配をかけたことをお詫びする。不祥事や問題事案が起きたことをお詫びするのではないのだ。
不祥事や問題事案が起きたことで、迷惑をかけた人たち、心配してくれた人たち、その人たちだけに謝罪しているのだ。誠心誠意の気持ちを述べた言葉とは思えない。
迷惑をかけたは謝罪の性質とは違うし、心配は不祥事、問題事案を起こした当事者のことを心配してくれたとも評価できる。
付け加えると、謝罪会見では、たいてい3人ぐらいの関係者が冒頭で謝罪の気持ちを表すため、頭を下げるが、頭を下げる角度がそろっていないときが多い。
頭を下げるときと上げるときのタイミングは示し合わせていると思うから、たいていはそろっているが、角度までは頭が及ばないのか・・・。
我が国に被害者ビジネスがあるのかわからないが、自分は被害者と強調し、多額の補償を要求する。被害者だから、なんでも通るわけじゃないから、一定の縛りも必要である。
不祥事や問題事案を起こした側も、被害者も、正々堂々と向き合えばいい。
評価するのは社会である。マスコミではない。
とはいえ、最後は当事者で解決するから、お互いが納得する形で解決することである。