滅却心頭火自涼(しんとうめっきゃくすれば ひもおのずからすずし)

 苦手な人や状況に接すると、私たちは嫌な気持ちになります。
 しかしその不快な感情は、相手や状況ではなく自分の心が生み出しているもの。「これは苦手だ」と思う気持ちこそが、私たちに苦しみや痛みをもたらしているのです。もし、食わず嫌いの「苦手」があるなら、思い切って挑戦してみましょう。やってみたら意外と大丈夫だった、ということは多々あるのです。物事にこだわる分別の心を捨て、無心になって向き合えば、火の熱さもそのままに受け入れることができる。それを心に留めて、今日も小さな挑戦をしましょう。
(出典:「ニャンか、しあわせ 今日をごきげんに過ごす【禅の言葉】」(リベラル社発行/星雲社発売))


 

 言うは易く行うは難し。
 と書いては、禅語様に叱られるか(笑)。

 心頭滅却すれば火もまた涼し。
 これは、よく聞く言葉である。が、禅語という。

 確かに、なるほどとうなずける。気持ちの持ちよう、である。
 しかし、火は熱い。熱いのに、涼しいという必要はない。

 いや、違う。
 火は熱いけど、いろんな雑念を振り払い、集中すれば、熱い火も涼しいと感じる。
 そういう教えである。

 とはいえ、熱いものは熱い。無理をする必要はない。
 心を空にして、本当に、涼しくなれば、それは悟りを開いたとき。
 凡人である私は、熱いままだろう・・・。

*このエッセイを書くにあたり、「ニャンか、しあわせ 今日をごきげんに過ごす【禅の言葉】」(リベラル社発行/星雲社発売)を参考にさせていただきました。ありがとうございました。

 毛利純一郎