桃李不言下自成蹊(とうりものいわざれども したおのずからけいをなす)

 

 桃や李(すもも)の木は何も言わず、ただそこにあるだけです。しかしその下には、美しく咲く鼻や豊かな果実にひかれて、たくさんの人が集まってきます。

 人は、魅力的だと思う人のもとに自然と集まっていきます。その人が声高に自分の存在や力を主張しなくても、内に秘めた素晴らしさや人徳が多くの人を呼び寄せるのです。あなたが特別に何かをしていなくても、たくさんの人の笑顔に囲まれているのなら、それはあなたの魅力や人間性が豊かにあふれている証拠。そのことを誇りに思い、自分という存在を大切にしましょう。

(出典:「ニャンか、しあわせ 今日をごきげんに過ごす【禅の言葉】株式会社リベラル社)」 )

 

 

 人徳のある人は、自分から自慢話をしなくても、人に慕われる。

 諸葛孔明がそうである。

「三顧の礼」で、蜀の皇帝劉備玄徳に迎えられ、蜀の丞相を務め、三国志時代で最も国力の小さな蜀の国を大国の魏や呉の国と対峙し、守った。

 でも、世の中には、諸葛孔明のように有能で人格のある人は多くても、日の目を見ずに、生涯を終える人も多い。また、不慮の事故や暗殺などをされて、命を落とす人も多い。

 

 人徳のある人は、いいお顔をされている。

 左右対称のお顔がいいと聞いたことがある。正確が悪いと、顔の一部が曲がったりする。

 性格の悪さは顔にも表れるのだろう。

 

 

 人徳のある人になるには、どうしたらよいか。

 それは自分を捨てて、他人のために尽くすことだと考える。

 自分の命をすてるのではない。自分の欲を捨てる、欲を抑えて、他人のために尽くす。

 でも、なかなかできるものではない。

 

 それができるのは、どのような人か。私にもわからない。

 でも、いいことをしていれば、自然にそうなるだろう。いいことをする、悪いことはしない。小学生でもわかることを普通にすればいい。

 しかし、それがなかなかできない。

 欲が増えると、成長すると、いろんな知識が邪魔をするから・・・。