啐啄同時(そったくどうじ)
息の合った親子のような関係とは、まさに「啐啄同時」。
親身になって相手を思いやりたい。
(出典:「ふっと癒される禅のことば(大本山建長寺 教学部長 永井宗直氏著 西東社)」)
卵の殻を突く音を「啐」といい、その孵化を促すために親鳥が卵を外側から突く音を「啄」といいます。
両者の息がぴたりと合った瞬間に、殻が割れ雛鳥が生まれるという、絶妙のタイミングを中国の俗説から「啐啄同時」といいます。
(出典:「ふっと癒される禅のことば(大本山建長寺 教学部長 永井宗直氏著 西東社)」)
教える人と教えられる人、親と子ども、こうした両者の関係には、「啐啄同時」のような、まさに、あうんの呼吸で息が合うことが必要、考えていることは同じであることが必要。
禅語らしい、禅語である。
難しい意味があるが、意味を紐解くと、とてもわかりやすい。
そして、我が身に置き換えて考えることができる。
子どものときは親に育てられる、先生に教えられる。
大人になると子どもを育てる、子どもや年下の人に対して教 える。
成長とともに、立場が変わる。
育てられたこと、教えられたことを胸に、育てるし、教える。
いい循環である。
いい循環が続けば、いい社会になる。いい世の中になる。
教えられるときは素直になり、教えるときは相手のことを思って教える。それが大切である。