紅塵飛んで至らず(こうじんとんでいたらず)
本質が清らかなんだから汚れようがないのさ。
(出典:「凡人のための禅語入門」(幻冬舎 中野東禅氏著))
「紅塵」とは人間世界の煩悩や迷いや憎しみなどの苦悩の観念の埃のことです。
そういうものから超越して、振り回されない心を「紅塵飛んで至らず」というのです。
(出典:「凡人のための禅語入門」(幻冬舎 中野東禅氏著))
床がきれいだから何もしなくていいというのでは、上辺だけの考えです。人生修行とは続けることに意味があるのです。
(出典:「凡人のための禅語入門」(幻冬舎 中野東禅氏著))
どんなにきれいにしても、どんなにきれいだとしても、必ず、汚れがある。
汚れがあるから、きれいにしようと思うし、きれいさを維持しようと努力する。
人間には、いろんな汚れがある。
身体の汚れはもとより、心が汚れているときもある。
清廉潔白な人であっても、心が汚れている。
もちろん、汚れは目に見えないほど、小さなものかもしれないが・・・。
私は汚れが多い。人の悪口を言ったり、怒ったりしている。
最近、驕り高ぶることが多かったと気づいた。
いつのまにか、知らない間に、驕り高ぶっていた。
周囲に自慢話もよくした。自慢話をしてから、しまった・・・と後悔したことも多い。
謙虚であること、素直であること、正直であること、思いやりの気持ちがあること、
周囲に感謝すること、うそをつかないこと、悪いことをしないとこと、などを心掛ければ、汚れも小さくなるだろう。
さあ、今から・・・じゃなく、このエッセイを書いたときから、始めたい。
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