両忘(りょうぼう)
対象と心とがぎこちないときは真の自由ではない。
(出典:「凡人のための禅語入門」(幻冬舎 中野東禅氏著))
人間は対象に取り回され、同時に自分の心に縛られています。その両方から自由になると対象も澄んで見え、かつ自分もせいせいとしていられるに違いない。それを「両忘」といいます。『景徳伝灯録』に収められている禅語です。
(出典:「凡人のための禅語入門」(幻冬舎 中野東禅氏著))
会社や家庭の混乱の中にいて、せいせいと覚めていられるとき、その気持ちは周りの人にはなかなか理解できないものですが、自分は少なくともそのすがすがしさを味わっています。
その心を落ち着きどころにして、熟成させていきたいものです。
(出典:「凡人のための禅語入門」(幻冬舎 中野東禅氏著))
心をフラットにする。しがらみを忘れる。
そうすると、真実が見えてくる。
自宅の背後にそびえる?標高約240mの低山によく登るが、登りはきつい。
わずか25分程度のことだが、息切れがし、でも、途中で緩やかな場所に出て、歩きながら休憩しつつ、頂上を目指している。
山に登っているとき、息切れがするが、そのとき、何も考えないときがある。
考えないし、考えられないというか、心を空(くう)にできる。
しがらみも忘れる。イメージも忘れる。ただひたすら、上を目指す。
この「両忘(りょうぼう)」の禅語の教えを、山に登っているとき、学んでいるかもしれない。