徳川光貞。徳川御三家の一つ紀州藩二代藩主である。
あの徳川光圀とは従兄弟にあたる。
この光貞の嫡男綱教は綱吉の長女鶴姫の婿となり、婿養子として次期将軍と目されたが、鶴姫の死により次期将軍は家宣となった。
綱教は幻の将軍かもしれない。
その綱教は鶴姫の死からまもなく、この世を去った。
さらに、綱教の死から二か月後に、光貞がこの世を去る。我が子を将軍にとの夢は現実とはならなかった。
しかし、ドラマには続きがあった。光貞の四男である頼久、後の吉宗であるが、吉宗が八代将軍となった。つまり、光貞の子が将軍になったのである。
吉宗が将軍になったのは1716年。光貞が亡くなってから11年後のことである。
初代家康が将軍家に後継ぎがないときに備えた御三家から初めて将軍が迎え入れられた。
歴史というものはおもしろい。