ムスカの歴史講釈「真田幸村」 家族編
第3回 ムスカの歴史講釈「真田幸村」
今回は家族編ですよ^^
いつも
貴重な解説をくれているのは
ムスカ のブログ:私釈☆歴史夜話
ムスカの歴史講釈「真田幸村」 家族編
解説者:ムスカ@経理
あずにゃん、今度は真田幸村の家族構成についての話だけど・・・
質問者:織部梓(通称:あずにゃん)
幸村は、真田昌幸の次男ですよね。
面白い話で長男と言う説もあった。
何ですかそれは!?
よそでもたまーにある話なんだが、ほぼ同時期に生まれた場合は母方の身分が優先される…と言うもので、母親の身分が低かった幸村は次男になったというお話。
根拠とかあるんですか?
例の「幸村」とかいう名前。
昌幸の字を貰っているのがその根拠だそうだ。
しかし、前にも言ったけど、幸村が生まれた当時は父昌幸は真田を継ぐ予定はなかったし、そもそも幸村の名前自体フィクションだから学説的には相手にされていないみたいだよ。
そもそも兄信之とは同じ母親ですしね。
一応異説はあるらしいよ。
で、幸村の奥さんだが分かっているだけで5人いる。
特に有名どころで言えば大谷義継の娘で正妻の竹林院。
子どもには真田大助こと幸昌や片倉守信がいる。
片倉?
それは後で説明しよう。
他には豊臣秀次の娘で側室の隆精院。
豊臣英次ってあの殺生関白のですか?
最近では殺生の部分は否定されているらしいけどね。
と言うことで幸村は実は豊臣家と言うロイヤルファミリーの列記とした一員であったりもする。
もっとも結婚したのが九度山に流されて以降=関が原以後なのでなんらご利益がないんだけどね。
そもそも粛清された人の娘さんですからね。
で、子どもの方だが分かっているだけで男4人女7人の合わせて11人ほどいるんだ。
数的に言えば子沢山ですね。
お陰で九度山での生活はかなり苦しく、実家である兄信之やその妻の小松姫に仕送りの催促の手紙が結構ある。
送る側としては事情はあれど奥さんを複数囲いと子沢山のニートは少し自重しろといいたくはあるだろうが。
いや、まぁ・・・そうなんでしょうけど。
幸村の子どもで有名なのは、長男にして大坂の陣では秀頼ともに自害して果てた真田大助こと幸昌だな。
一応夏の陣で敵将を討ち取っているほどの武勇の持ち主だよ。
それなりに将来有望な子どもだったんですかね。
そうかもね。
で、最近有名になったのが例の片倉守信と阿梅と言う側室の女性だ。
片倉といえばあの伊達政宗の片腕とも言うべき片倉小十郎景綱ですけど…。
関連性があるのはその子どもである片倉小十郎重長なんだ。
大阪夏の陣で伊達軍の先鋒を勤め、後藤基次を討ち取った勇将だがそこで真田幸村隊と遭遇。
ボコボコにされた経緯がある。
負けたのに?
で、戦後に自分をボコボコにした幸村に感服したらしい小十郎Jrは、戦後の豊臣家残党狩りにで瀕していた幸村の子どもである片倉守信と阿梅を自分の家でかくまって、
阿梅を後妻。片倉守信を伊達家家臣としている。
一説には小十郎Jrの戦いぶりに感心した幸村が密かに頼んだ・・・ともあるんだ。
幕府に逆らった人物の妻子をかくまって問題はなかったのですか?
流石にあると思ったのか当初は片倉姓で誤魔化していた。
が、彼の次の代で真田に復している。
これを仙台真田家と言う。
因みに本家である兄信之の家である松代藩は途中で養子を迎えているのに対してこちらの真田家は今でも続いているので血筋的に言えばこちらの方が直系となるのかな。
ちなみに、他の家族や奥さんはどうなったのでしょう?
戦後、捕縛されたんだけど、概ね許されて子どもは別の場所で再就職したり穏やかな余生を送ったそうだ。
恐ろしく寛大ですね。
~*~*~*~*~*~*~*~
次回 幸村個人編に続く
漫画「上田・佐久 幸村500年の夢の跡」 もどうぞ^^
田舎暮らしの別荘・住宅は日本マウント株式会社
今回は家族編ですよ^^
いつも
貴重な解説をくれているのは
ムスカ のブログ:私釈☆歴史夜話
ムスカの歴史講釈「真田幸村」 家族編
解説者:ムスカ@経理
あずにゃん、今度は真田幸村の家族構成についての話だけど・・・質問者:織部梓(通称:あずにゃん)
幸村は、真田昌幸の次男ですよね。
面白い話で長男と言う説もあった。
何ですかそれは!?
よそでもたまーにある話なんだが、ほぼ同時期に生まれた場合は母方の身分が優先される…と言うもので、母親の身分が低かった幸村は次男になったというお話。
根拠とかあるんですか?
例の「幸村」とかいう名前。昌幸の字を貰っているのがその根拠だそうだ。
しかし、前にも言ったけど、幸村が生まれた当時は父昌幸は真田を継ぐ予定はなかったし、そもそも幸村の名前自体フィクションだから学説的には相手にされていないみたいだよ。
そもそも兄信之とは同じ母親ですしね。
一応異説はあるらしいよ。で、幸村の奥さんだが分かっているだけで5人いる。
特に有名どころで言えば大谷義継の娘で正妻の竹林院。
子どもには真田大助こと幸昌や片倉守信がいる。
片倉?
それは後で説明しよう。他には豊臣秀次の娘で側室の隆精院。
豊臣英次ってあの殺生関白のですか?
最近では殺生の部分は否定されているらしいけどね。と言うことで幸村は実は豊臣家と言うロイヤルファミリーの列記とした一員であったりもする。
もっとも結婚したのが九度山に流されて以降=関が原以後なのでなんらご利益がないんだけどね。
そもそも粛清された人の娘さんですからね。
で、子どもの方だが分かっているだけで男4人女7人の合わせて11人ほどいるんだ。
数的に言えば子沢山ですね。
お陰で九度山での生活はかなり苦しく、実家である兄信之やその妻の小松姫に仕送りの催促の手紙が結構ある。送る側としては事情はあれど奥さんを複数囲いと子沢山のニートは少し自重しろといいたくはあるだろうが。
いや、まぁ・・・そうなんでしょうけど。
幸村の子どもで有名なのは、長男にして大坂の陣では秀頼ともに自害して果てた真田大助こと幸昌だな。一応夏の陣で敵将を討ち取っているほどの武勇の持ち主だよ。
それなりに将来有望な子どもだったんですかね。
そうかもね。で、最近有名になったのが例の片倉守信と阿梅と言う側室の女性だ。
片倉といえばあの伊達政宗の片腕とも言うべき片倉小十郎景綱ですけど…。
関連性があるのはその子どもである片倉小十郎重長なんだ。大阪夏の陣で伊達軍の先鋒を勤め、後藤基次を討ち取った勇将だがそこで真田幸村隊と遭遇。
ボコボコにされた経緯がある。
負けたのに?
で、戦後に自分をボコボコにした幸村に感服したらしい小十郎Jrは、戦後の豊臣家残党狩りにで瀕していた幸村の子どもである片倉守信と阿梅を自分の家でかくまって、阿梅を後妻。片倉守信を伊達家家臣としている。
一説には小十郎Jrの戦いぶりに感心した幸村が密かに頼んだ・・・ともあるんだ。
幕府に逆らった人物の妻子をかくまって問題はなかったのですか?
流石にあると思ったのか当初は片倉姓で誤魔化していた。が、彼の次の代で真田に復している。
これを仙台真田家と言う。
因みに本家である兄信之の家である松代藩は途中で養子を迎えているのに対してこちらの真田家は今でも続いているので血筋的に言えばこちらの方が直系となるのかな。
ちなみに、他の家族や奥さんはどうなったのでしょう?
戦後、捕縛されたんだけど、概ね許されて子どもは別の場所で再就職したり穏やかな余生を送ったそうだ。
恐ろしく寛大ですね。~*~*~*~*~*~*~*~
次回 幸村個人編に続く
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