爽やかな朝です
娘は昨日と今日で阿蘇でキャンプです
ほんとにアクティブです
興味ないかもしれないけど、今日はスワの生い立ちについて書こうかなと思います
私は大分県の安心院町で産まれました。
父が営林署(国家公務員)だったので、転勤があります。
幼少期は、大分県中津市にいたようです。
それから長崎県の対馬に渡りました。年中、年長、小1までです。ここはよく覚えてます
自衛隊基地で遊んで怒られてました(笑)
営林署なので山があるところに転勤します。
次は大分県日田市でした。
ここは父の実家があるところです。
ここが一番長くて3年半だったかな
飼ってたインコのピーちゃんが逃げて、号泣しながら探した想い出があります
広瀬淡窓の生誕地?で、有名な咸宜園がありました。小学校は1200人くらいのマンモス校でしたが、後に○○小と咸宜小に分裂しました
次に転勤になったのは宮崎県小林市でした。
小6と中1の2年間でした。6年の時は、ピンクレディーブームで、友達と2人、「南小のピンクレディー」と言われながら、行事の度に歌って踊ってましたね(笑)
それだけ活発な子でした
中学生になって、国語の先生に恋をしました✨
サザンの桑田さんに少し似てる先生で、大胆にも先生の家に押しかけたりもしてました
今なら危ないですよね(笑)
捕まらなくて良かったです
なんせ、惚れっぽい性格なんです
淡い初恋もしました
向こうはスカートめくりとかしてくるんですよね。
ずっと気になってましたが、転校が決まり…
その後、文通(懐かしい)することになって、初めて向こうも私のことを好きだったことがわかりました
でも、そののち、大学生のころ、一度会う機会があって…その話は後ほど。
小林市を2年だけ過ごして、次は屋久島に転勤になりました
まだ世界遺産じゃない頃です。
そこで中2、中3、高1の3年間を過ごすことになります。
家の真ん前は砂浜でした
家の中でヤドカリを飼ってたこともあります(笑)
この時期と言えば、まさに青春!
誰が誰と付き合うとか、そんな話がゴロゴロでしたね(笑)
私もまた、恋をしましたが、片想いでした
次に丸坊主のお地蔵さんのような子が、私のことを好きみたいよって、周りから盛り上がり、私も何となく意識しだして、つきあうようになりました。
と言っても2人で出掛けるとかそういうのもほとんどなく、お揃いのTシャツを着たり、ボールペンをプレゼントしたりするくらいの仲でした。
いつしか彼は不良になり、私から離れていきました
3年たって、転勤が決まり、この時お別れするのが一番悲しかったですね
フェリーに乗って、紙テープをいっぱい持って
皆が「贈る言葉」を歌ってくれて…
あ、でもこの時できた親友は今も繋がっています🍀
私は高校の編入試験を受けることになりました。
このころ父親が、転勤が嫌になって、法務省の方に転職し、福岡県筑前町に家を建てたので、近くのA高校に電話をしました。
そしたら、そこは進学校で、鹿児島でも一番偏差値の低い屋久島高校からの編入は嫌だったらしく、ていよく断られました
それで仕方なく、父の実家のある日田市のH高校へ編入することになりました。
試験は2人でうけましたが、私はできなかった…と落ち込んでいたのに相手は堂々としていたのでさらに落ち込みましたね
父と母と妹は熊本の多良木町というところに住んでいました。
私は父の実家に1年ほど下宿させてもらいました。
昔住んでた日田市に戻ってきたので、もちろん当時の友達とかもいましたが、お互い成長してるので、あまり話すことはなかったですね
3年になったら、家が完成したので筑前町から日田市まで毎日一時間半くらいかけて通学してました。
もちろん部活も出来ないので、おとなしい転校生のまま、卒業してしまいました
男女交際も禁止だったので、淡い恋くらいはしましたね❤️(またかい)
それから県内のF女子大に合格しました。
3年間寮に入っていて、人生最大太って、60キロ越えてしまいました
その頃です!
中1で好きになって文通した男の子と、友達の関係で再会する機会があったのは…
彼はきっと私のふとりっぷりに驚いたことでしょう…
でもそのことには何も触れずにいてくれました。
楽しく遊んで飲んで…
彼が行きつけのおしゃれなパスタ屋さんに連れていってくれました。
おしゃれすぎて、そこではパスタをお箸で食べるんです
私はお箸使いが上手ではなかったので、パスタがうまく掴めなくて困りました
それから必死でお箸使いの練習をしましたね
彼は大阪に帰り、その後の発展もなかったです(笑)
あと、その一番太った時期に、H高校で英語の教育実習がありました
担当したクラスにはなんと、私のいとこがいたのです。
私は教え方が下手だったので、きっとあきれられただろうなあ…
教育実習に行って、自分の無力さを感じ、先生への道は選べませんでした(笑)
父は転職して、法務局に勤めました。
退職後は試験を受けて司法書士になり、母と2人で事務所を構えました。
市役所のすぐそばだったので、子供たちの発熱とかで保育園から呼び出しがかかると、ほとんど母に頼っていましたね
3人ともいっぱいお世話になりました
父は77歳になるまで現役で頑張り続けましたが、最後はがんで亡くなりました
父が亡くなったあと、例の「いろいろ見えるひと」が言うには、父が何か賞状みたいなものを探していると。
それで母が、遺品を整理していたら、司法書士の免状が出てきたんです。
きっとこれだということで、今は父の遺影の横に免状を飾っています🍀
父の遺影は心なしかニコニコしています
まあ、スワの生い立ちはこんなものですかね😅
今日のめめです💞
今日は昼から旦那と「沈黙の艦隊」を観に行くよていで~す














