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今日の勇気

33歳、在宅ゆるゆる仕事。都内に夫と4歳娘と3人暮らし。
仕事、育児、パートナーシップ、日々の勇気を綴るブログ。

あさぎさんの講座第二回では、親に我慢していたこと、言えなかったこと、悲しかったこと、自分の満たされなかった気持ちを本人に直接言ってみる、の課題がありました。

 

父母については、正直複雑な思いでいっぱいです。

一昔、こんなんじゃ駄目だと、無理やり感謝してみることをやってみた時期もありますが長くは続きませんでした。

 

特に大学以降になりますが、私が自分の選択を信じ、自分で行動し、自分の世界を切り開いてきました。しかし、それによって自分が幸せだと感じたり、自由を感じたりすることほど、親に心配されたり、止められそうになったり、咎められたりしました。

 

逆に、特に私の授かり婚以降になりますが、そのことを親に悲しまれた罪悪感から、自分をなるべく抑え、表面上は父母の意見に従う素振りをみせる日々です。でも一方で、私が本音を言うのをただひたすら我慢したり、そうは心が持たないのでなんとかノラリクラリと交わしたり…の昨今です。

 

 

 

 

 

じつは、親に言ってみる、この課題を遂行しようとする直前に、夫との新たな問題ができてきました。そのときにはじめて怒りという感情をそのままストレートにぶつけてみたんですね。この怒りという感覚が、なんとも新鮮で…

というのも、私は昔から、何か問題があれば、自分に対して悪いところを探し、申し訳なさと罪悪感を感じて、ひたすら謝るという対処がデフォルトだったからです。

 

 

 

 


父と母に話したいことがあると電話をしました。直前の出来事から、何となく、父母に対して怒りを感じているものに焦点をあてて素直に伝えるのがいいのでは、という直感がありました。

 

 

父へは、私がいかに周りのことを見えていないかという、幼い頃のとあるエピソードを、親戚の前でしつこいくらい繰返し話すのですが、どうにもこうにもならない怒りとそして傷つくんだよね、ということを伝えました。

 

母へは、やはりマイホーム、次の子はまだかということを、ほぼ5日に一回ペースでおかまいなしに掛けてくるのが、たまらなくうんざりだということを伝えました。

 

 

父母の返答は以下です。

 

 

父からは、だって実際そうじゃないか…と。あのエピソードが私の生き方を象徴している。親は子以上に見ているし考えている、もう少し自分の生き方を見つめ直しなさいと言われました。仕事はしてもいいけど、色々なことに対しバランスが悪い、夫に負担をかけすぎ、このままでいくと破滅に向かうよ。家の財産を当てにするなよ。下流老人になるなよ。という厳しい口調でした。

 

母からは、もう言わない、ごめんなさいという謝罪の言葉はありましたが、こういう厳しいことを言えるのは親だけ。親と子どもの縁は切れないということを諭されました。

こういったマインド系の講座を受けることへの心配、マイホーム、次の子に対して、興味を示さないこと、夫へとの不仲も含め、とにかく私が心配で夜中に眠れないほど心配らしいです。

 

 

 

両親をこんな気持ちにさせてしまった悲しみしかなかったです。この心配されていることが両親からの愛には違いないですが、それに対して自然と感謝できるかと言われると甚だ疑問です。

 

私が自由に、本音で生きようとすればするほど、なぜこんなに心配をされなくてはならないのかと絶望があります。こんな思いをさせてしまうくらいならば、自分を押し殺して生きたほうがいいのだろうかという気持ちすら出てきます。

 

 

今までは、やはり親は親と受け流して、とにかく自分の感覚を信じ、たとえ親には反対されようと、やりたいこと、自分の信じることに忠実に従ってやってみる

が私の基本スタンスでした。

 

しかし、数週間前に、それこそマイホームについての見方の話なのですが、

「かえって自分らしくいられる、自分を自由にさせてもらう道」と全面的にまずは信頼して父親、母親の忠告を受け入れてみる、というのも出てきました。

 

ただ、やはり父母の忠告に従うことは、自分の価値観を殺すような気がして、我慢を重ねる生き方なのかなとも考えます。

 

 

それとも第三の道はあるのでしょうか…?正直まだ見えません。

 

 

 

先日の電話口では、これまですべての悲しかったこと、満たされなかったこと、をすべて言いきったかと言わると、言い切れていない部分はあり、何ともいえない状況です。

電話直後は、ここまで心配かけていることのショック、悲しみで終わりました。

そんな父母に怒りはなく、やはり罪悪感と悲しみが大きくなる一方です。