先日、八重垣神社でも書きましたが、八重垣神社に遷座する前はこの須我神社でスサノオは祀られていました。
なのでスサノオが八岐大蛇を退治して櫛稲田姫と結ばれた場所がこの須我の地です。
したがって…
「八雲立つ 出雲八重垣 妻込めに 八重垣造る その八重垣を」
の短歌を詠んだ発祥の神社となります⛩️
だんだんと鳥居が顔に見えてきた🤭
日本初之宮
スサノオと櫛稲田姫が住んだお宮からです。
拝殿
霊石🪨踏まぬ石
末社、御祖神社と社日神社
御祭神はわかりませんでした。
11月でしたが寒かったです。
本殿後ろにある八雲山には奥宮がありますが今回はスルーしました。
出雲は大国主と思いがちですがスサノオですよ!
そして、スサノオとは…
徐福さんかも?🤭
徐福??またバカなことをと思うかもですが…
弥生時代に渡来した人たち、すなわち渡来人グループが徐福であり、秦氏はその一部だと考察しています。
出雲には徐福の子分アメノホヒが出雲国造となり治めた。
不思議と徐福が出雲を滅ぼし、北九州に向かい、出雲族のほとんどが信濃、大和葛城周辺に移住した!
信濃は大国主とヌナカワヒメの子、タケミナカタが治めた。
大和葛城周辺は富家が移住し、富が登美となる。
あの長髄彦の本拠地である
また、富雄丸岡古墳で歴史的発見である蛇行剣🗡️が発掘された場所です!
富家は郷戸家と共に主王である大名持、副王である少名彦を務めた東西王家でした。
また、大国主の子であるアジスキタカヒコネも大和に移住し、鴨や賀茂氏の祖となります。
高鴨神社周辺です。
さらに、アジスキタカヒコネを事代主とする大神神社に分かれたと考察します。
いずれ詳しく考察しますが、歴史的に辻褄が合う
しかし、このような考察は皇室に影響が出るか、あくまで都市伝説にしかならない。