寒いですね😨

出雲神社ブログは長期戦になると思います爆笑

いきなり二十社近くブログを書く気力がないのですキョロキョロ



とは言っても…


出雲大社のつづきです。


こちらは素鵞社と言いスサノオを祀っています。


出雲大社(杵築大社)は御祭神が大国主大神とは限らずスサノオの時期もありました。


これだけでも国譲り神話での大国主が高天原の天照大神に出した条件が後付けだとわかりますニヤリニヤリニヤリ



またこの出雲大社がある地名の杵築は本来だれを祀っていたのか?


なぜ明治から出雲大社に名前を変えさせたのか?


おもしろい考察が出来ましたよ♪🤭



まぁ〜そこは後でニヤリ



この素鵞社はスサノオを祀っていた時のなごりですが、出雲大社本殿裏に素鵞社があり、素鵞社は後ろの八雲山の磐座に隣接しています。


パワースポットならおそらくこの🪨ですね!



この素鵞社の床下でお清の砂を交換します。



既に十九社まで長い行列が出来ていておそらく二時間以上はかかる…ガーンガーンガーン







ここがいちばんパワーです♪



出雲大社ではスサノオを素戔嗚尊と表しています。



古事記表記は建速須佐乃男命


日本書紀は素戔嗚尊



古事記と日本書紀ではスサノオの扱いは違います!



その辺りも含めて考察編では書いていきます。



まぁ〜根本的に神話を否定することになりますが…口笛




せっかちな人の為に手前の小さな社でも砂を交換出来ますが磐座には触れないですショボーン



本殿の裏


居ますよね…こんな人達えー


パワー😆 きんにくんか!🤭



可愛い😍



うさぎさんが手を合わせています。





本殿の西側にも参拝する場所があります。



大国主大神が西を向いているから…えー



これが出雲大社の謎の一つですね。


拝殿から本殿を参拝しても大国主大神の左側となります。



大国主大神が西を向いている理由は諸説ありますが、稲佐の浜を向いて八百万の神を出迎えている!?



東のヤマトに背を向けている!?



などなどありますが…ニヤリ



また本殿の御祭神の謎もあります!



大国主やスサノオですが本殿に安置されている御神体の謎?



江戸時代藩主の松平直政が宮司の制止を振り切って本殿に入ると…



大きさ15mもあるアワビに大きな九つの穴があり、大きな蛇🐍が九匹いた…



と雲陽秘事記にあります。



八岐大蛇は八


しかし、古代より出雲は龍蛇信仰🐍です。



大きな九匹の蛇🐍


簡単に言うと九頭龍ニヤリニヤリニヤリですね。



じつはアワビと龍を祀る神社はあります!



龍を祀る神社は多いですがアワビを祀る神社も多いんです。



伊勢神宮は干し鮑を自作しています!



理由は諸説ありますが龍とアワビは子孫繁栄の意味もありますラブ





摂社で氏社ですがじつは重要です!



御祭神は出雲国造家の祖神


天穂日命アメノホヒ



アメノホヒは天照大神とスサノオとの誓約で誕生した神で、後に国譲りをさせる為の使者として出雲に下らせたましたが、大国主に懐柔され出雲に残ってる神さまです。



そのアメノホヒの子孫が出雲国造家となり、千家家と北島家に分かれました。



アメノホヒの扱いも古事記と日本書紀では違います。



ここでも出雲大社は日本書紀をベースにしています。



じつは日本書紀では出雲神話はほとんどない。



逆に古事記は出雲神話がメインなのです。



この意味わかります?



出雲大社は日本書紀ベースで作られているということです。



したがって出雲の国譲りじたいを正当化する為の改竄が明治に行われたと考察しています。





神楽殿の大注連縄




この注連縄も謎が有名ニヤリ


一般的に神道は右上位、左下位ですが、出雲大社は



左上位で右下位



なんで逆なのかは謎🤭



しかし、注連縄は結界とも言われますが元は蛇🐍が交尾している様子とも言われています。



蛇🐍の交尾は身体を…ラブ


ネットより


激しいですね😆



そんな下ネタが神社に関係するなんて…キョロキョロキョロキョロキョロキョロ



いえいえ


神社は下ネタの宝庫ですラブ



出雲族の龍蛇信仰が注連縄の起源かもね!?😆




神楽殿の祓所と金刀比羅宮があります。



金刀比羅宮は大物主命


高松の金比羅様と同じく大物主で海神さま



だからうさぎも船に乗ってます☺️





大国主とスセリヒメ









翌朝また来るので出雲古代歴史博物館に向かいます。



発見された心御柱





想像模型

鎌倉時代は大型神殿だった可能性大ですね。





この柱が金輪造営です



縄文出雲族ではこの銅鐸は重要でした。



しかし、銅鐸は何のためにあるのかも謎です。


個人的にはある意味で証明証というか仲間の証ではないかと推察しています。








銅鐸こそが出雲族の象徴であり、証明だったんだと思います。



以降、銅鐸は無くなります。



大和古墳時代からは銅鐸は無くなります。



出雲大社よりこの博物館の方が楽しかったです♪



出雲大社は大混雑でしたのでちゃんと見ることが出来なかった。



翌朝リベンジすることを決めて次の神社に向かいます。