前回、ツクヨミの正体は豊受大御神と推察しました。

 
ちゃんと読んでいる人は?
 
あれ?と思うかと…
 
そうです!
 


オオゲツヒメとウケモチはスサノオとツクヨミに切り殺されているのに同一神さまである豊受大御神がツクヨミに斬り殺されるのはオカシイのです。
 
 
これはおそらく意味合いが違うと推察しました。
 
 
切り殺したのではなく自らの身体から五穀が誕生したのを後の天武天皇、持統天皇が天照大神を優位にする為にスサノオ、ツクヨミが罪を行ったとしたのではないよか?と考察しました。
 

 
いよいよ、ツクヨミの謎解きに入ります😆

 
 
記紀でもツクヨミの記載は誕生とウケモチ殺害しかないのです。
 
 
そもそもツクヨミとはどの様な神なのか??
 
 

父イザナギから夜の食国を司どりなさい!と言われました。
 
 
食糧起源の神さま
 
 
また、月は暦です。


現在は太陽暦ですが幕末までは太陰暦を使用していたので太陽より月を重視していました。


天皇家、朝廷は絶対に改暦を認めませんでした。


暦を司ることが絶対の権力だったんです!


朝廷が太陽より月を重視していた理由です。
 
 
そして、皆さんもご存知の通り月と地球との関係…
 
 
潮の満ち引きも月の力ですよね!
 
 
月は満月🌕から欠けて月食となり無くなる…
 
 
これは死からの再生を表しています。
 
 
ツクヨミは五穀豊穣、航路祈願、不老不死などね…
 
 

個人的な考察の結論から書くと…
 
 
天照大神、月読尊、須佐之男尊の三貴子は兄弟ではない!!
 
 
 
話は少し外れますが現在、古代人のDNA🧬解析で日本人のルーツはほぼ確定しています。
 
 
アイヌでもわかるように中央アジアから樺太、北海道の北方ルートから渡来した初期の旧石器時代からの縄文人
 
 
まぁ〜アイヌが日本の先住民なら縄文人の方が先なんですけどね…えーえーえー
 
 
 
これはまた別のお話しなのでスルーします。
 
 
また、琉球民族の南方諸島ルート
 
 
そして、最後に朝鮮半島から渡来した弥生人
 
 
この3つのルートから渡来した人達の混血が現在の日本人です。
 
 
そこで以下の様な仮説が出来ました。
 
 
三貴子はこの3つのルートから渡来した人の神さまだったのではないか??
 
 
北方ルートは北海道で留まりアイヌ人となり、南下した一族はスサノオを神とし、後にアラハバキ、ミシャクジの龍蛇信仰となり青森三内丸山で太平洋ルートは鹿島までの日高見国となり、日本海ルートは砂鉄を求め南下し出雲で定住した大国主の出雲族となる。
 
 
南方ルートは大陸から台湾、先島諸島、琉球王国となり、さらに奄美群島を黒潮に乗り渡来した人達で後に鹿児島、宮崎で大きくなる海神族、ウガヤフキアエズ、神武天皇となる民族が誕生した。
 
 
 
そして、最後の半島経由で渡来した弥生人、弓月君と秦氏などが渡来した。
弓月国は現在のウイグルあたりと言われて古代イスラエルからの移動一族です。
 
 
もうお分かりですが😆
 
弓月の月🌙
 
この半島ルートから渡来した弓月君と秦氏が渡来したのは4世紀、応神天皇の世です。
 
 
書くのは簡単ですがここで
縄文時代を再確認します。
 
 
縄文時代は一万年以上も続いていました。
 
 
後期縄文時代は移動ではなく定住し集落を形成していました。
 
 
その大きな物が三内丸山遺跡です。
 
 
縄文時代は小豆、粟、稗、栗など栽培し、土器で煮炊きし、調理保存もしていました。
 
 
タンパク源も狩りか魚を取っていたので豊富にあり、平等に分配していました。
 
 
だから、縄文時代は争いがない支配者がいない平和な時代とも言われています。
 
 
しかし、気温が下がる海水面が下がり海岸線が離れて魚を取れなくなり、栽培も不作、動物も木の実が減り少なくなりました。
 
 
縄文人の人口は激減します。
 
 
それが三世紀ごろです。
 
 
その辺りから日本朝鮮半島を経由して渡来して来たのが弓月君率いる秦一族渡来人です。
 
 
この秦氏一族はあらゆる文化をも渡来しました。
 
 
その代表が水耕稲作栽培!
 
 
しかし、弥生時代初期は北九州でしか水耕稲作栽培は出来なかったんです。
 
なぜなら、日本の土壌は酸性土なので育たないんです!
 
 
さらに!関東、東北ではそれでもまだ木の実などの食料栽培をしていたので稲作はかなり後になります。
 
 
話は戻りますが、北方ルートの縄文出雲族、南方ルートの縄文海神族、そして大陸から半島経由で渡来した弓月君の秦氏の弥生人
 
 
整理する時…
 
北方ルートがスサノオ
 
南方ルートが海神(スサノオ)
 
半島ルートがツクヨミ
 
 
天照大神の天孫族は南方の海神族がやが天照大神を取り込んだと考察しました!
 
だから、神武天皇の東征につながるのです!
 
 
という個人的な推察をしています。
 
 
ツクヨミはやはり古代イスラエルの血をくむ一族が東へ移動してきたと考えられます。
 
 
秦氏一族は衣食住の知識をもたらしたのは間違いないのです。
 
 
秦氏が創建したと言われる松尾大社の摂社に月読神社があります。








ぜひ読んで頂きたいです!


元は壱岐氏が海上の神として祀っていたのを秦氏が京山城に移したとあります。



朝鮮半島から対馬、壱岐島、沖ノ島を経由して渡来したのです。



長くなりましたがツクヨミは渡来人の神さまだったんです。



五穀豊穣の神

暦の神

潮の満ち引きの神 

海上の神



秦氏さツクヨミを別の神としたとではないか?



それが豊受大御神であり、宇迦之御魂神であり、大気津比売神であり、保食神だった…



明日はなぜ出羽にツクヨミが祀られたのか?



楽しみです♪😊