もうすぐあれから一年を迎えます。憶えている事を今のうちに書き連ねて自身の備忘録にしたいと思います。
あの日、そう、2011年3月11日。
2週間後にビッグイベントを控え、その準備に追われていた私。
煮詰まっていた私はちょいと休憩しようと事務所を後にして、太白区にあるショッピングセンターで昼食を取った後、車中で仮眠を取っていたのでした。
不意に聴きなれない音で目が覚めました。カーラジオからは何やら緊迫感あふれるアナウンス。
その直後、経験した事のない揺れに成す術もなく身を任せるしかない時間が数分続きました。
※宮城県では、近年大きな地震が頻発しており、震度5位の地震ではあまり驚かなくなっていました。
一瞬揺れが止み、直後にショッピングモールの店内から人があふれ出て阿鼻叫喚の地獄絵図。
屋根からは火事に備えた消火剤が降り注ぎ、ジャバジャバと地面にたたきつけられました。
ラジオからは『大津波警報発令!10メートルを超える…』という声が聞こえてきました。これは流石にヤバいという事だけは理解したのです。
私は揺れが収まったのを機にエンジンを掛けて自宅に向かいました。
その途中、また緊急地震速報の音が鳴り響き、強い揺れが来ましたがお構いなしに車を進めました。
自宅前に就いたのはそれから程なくしてでした。道路付近には住民がたむろしていて、余震におびえているようでした。
自宅のある集合住宅に入ると停電していて、EVは停止しています(当り前か)。
階段を昇り、自宅のドアを開けるともう足の踏み場もない状態で、ガラスやらの破片は当たり前のこと、冷蔵庫が数メートル移動していたりTVがあっち向いてほいしていたりと、いやはや絶望的な状態でした(この段階ではです、あくまで)。
続く。
あの日、そう、2011年3月11日。
2週間後にビッグイベントを控え、その準備に追われていた私。
煮詰まっていた私はちょいと休憩しようと事務所を後にして、太白区にあるショッピングセンターで昼食を取った後、車中で仮眠を取っていたのでした。
不意に聴きなれない音で目が覚めました。カーラジオからは何やら緊迫感あふれるアナウンス。
その直後、経験した事のない揺れに成す術もなく身を任せるしかない時間が数分続きました。
※宮城県では、近年大きな地震が頻発しており、震度5位の地震ではあまり驚かなくなっていました。
一瞬揺れが止み、直後にショッピングモールの店内から人があふれ出て阿鼻叫喚の地獄絵図。
屋根からは火事に備えた消火剤が降り注ぎ、ジャバジャバと地面にたたきつけられました。
ラジオからは『大津波警報発令!10メートルを超える…』という声が聞こえてきました。これは流石にヤバいという事だけは理解したのです。
私は揺れが収まったのを機にエンジンを掛けて自宅に向かいました。
その途中、また緊急地震速報の音が鳴り響き、強い揺れが来ましたがお構いなしに車を進めました。
自宅前に就いたのはそれから程なくしてでした。道路付近には住民がたむろしていて、余震におびえているようでした。
自宅のある集合住宅に入ると停電していて、EVは停止しています(当り前か)。
階段を昇り、自宅のドアを開けるともう足の踏み場もない状態で、ガラスやらの破片は当たり前のこと、冷蔵庫が数メートル移動していたりTVがあっち向いてほいしていたりと、いやはや絶望的な状態でした(この段階ではです、あくまで)。
続く。