夏休みに入り、吹奏楽コンクールも目前に迫った頃、
中学の担任との三者面談が行われた。
娘はその頃、まだ受験体制は整っておらず、
受験したい高校も決まっていなかった。
とにかく目の前の部活、コンクールのことで頭かイッパイ。
塾の夏期講習も部活のために通えない。
そんな中、三者面談だったのだが、こちらから担任に申し入れ。
『手汗がひどく、緊張すると特にひどい。
汗で答案用紙を破く可能性があるため、ハンカチを使えるよう
別室受験などご配慮いただけないだろうか?』
薬を飲み始めてからその頃で2週間、劇的に汗が止まった、ということもなく
(若干は減っている)
汗を支障がないレベルまで止めるのは無理と判断した。
担任の先生も『受験校に申し入れをします』とのこと。
別室受験は基本的に、体に何らかの障害がある人や
体調を崩した人が受けるものだが、過去に手汗で
別室受験をした、という話は聞いたことがない。
果たしてどうなるか?
もちろん、診断書も取るつもりでいた。
それから数日後、吹奏楽コンクール地区大会が始まった。
無事に地区大会をゴールド金賞、地区代表となり、
それから2週間後、県大会。
これも無事、ゴールド金賞、県代表として東北大会行きが決まる。
8月下旬、東北大会が青森で行われ、なんとそこで
ゴールド金賞、全国大会に推薦された。
初の全国大会出場です。
全国大会は10月末『吹奏楽の甲子園』と呼ばれる
東京の『普門館』で。
その後、娘の受験に関して、いろいろと動きが出た。
複数の私立高校から、部活特待の話が舞い込んだ。
特に娘は受験する高校を決めていなかったのと、
高校でも部活を頑張りたいという希望があった為、
この話には娘自身が乗り気だった。
そして10月末、全国大会、初出場ながら銀賞受賞。
大満足の結果。
大体の子が、部活を引退する時は運動部の子なら
負けて引退、ということが多いのに、この子は
最後の最後まで笑って部活を引退できた。
とても幸せなことだと思った。
その後、部活特待の話を持ちかけてきた学校の部の顧問と
いろいろ話をしながら、娘はそのうちのひとつの高校に
進学すると決めた。
それと同時にこちらも高校の部活の顧問に
『そちらにお世話になるので、できれば今のうちから
部活に参加させてもらえないか?』
と頼んだところ『どうぞいらしてください』と快諾。
部活特待で進学するのに、入学までの半年近くを
楽器を吹かず過ごしてテクニックが落ちてしまっては
元も子もないためだ。
入試前、中3の12月から高校の部活に参加。
年が明け1月中旬、特待生入試。
実のところ、三者面談で頼んでいた
別室受験を受験校に申し入れする件は、
担任との話し合いの上、しなかった。
というのも、12月の三者面談の時に言われたのが
『特待生入試で高校側からのスカウトでの受験の場合
落ちることはないので緊張も少ないでしょう』
とのこと。
娘も12月から部活に通い、知らない場所ではなかったのと、
落ちることのない受験だったので安心していたし、
汗もかいたけど、さほど気になるレベルではなかったらしい。
翌日、無事に合格通知が届き、すぐに入学金振込みなど
手続きを済ませ、周囲がこれから受験という中、
悠々自適な生活を送っていた。
そして、卒業式で歌う『大地讃頌』のピアノ伴奏も
任されることになり、日々練習。
そんな風に卒業式まで時間を過ごしていたが、
卒業式前日、あの東日本大震災が起き・・・。
卒業式が一週間遅れ、歌うはずだった『大地讃頌』も
こんな状況下で『讃えよ大地を』と歌えないという理由で
なくなってしまったが・・・。
公立高受験の子は、合格発表が遅れ、その後の手続きも
交通・金融機関が動いていなくて大変だったようだが、
ウチは全て済ませていたため、安心して春休みを過ごした。
4月になり、2週間遅れで入学説明会が行われ、
娘の学校は被害が少なかったため、
4月中旬、よその学校よりも少し早く、入学式が行われた。
ちなみに部活は学校が復旧した4月初旬から通っていた。
こんな風に何とか、手汗と付き合いながら
受験期をやり過ごした。
緊張しない受験だったことも、手汗をやり過ごすことができた
大きな理由だったが、担任の先生もいろいろと理解してくださったのも
大きな安心だった。
でも、こういう人生の分かれ目の場面での手汗って
本当に対応が難しいと思う。
でもまだこれは一回目に過ぎず、この先、大学受験なり
就職試験、と考えると、いろいろと心配ごとは尽きない。
さて、この先はどうなるか・・・。
中学の担任との三者面談が行われた。
娘はその頃、まだ受験体制は整っておらず、
受験したい高校も決まっていなかった。
とにかく目の前の部活、コンクールのことで頭かイッパイ。
塾の夏期講習も部活のために通えない。
そんな中、三者面談だったのだが、こちらから担任に申し入れ。
『手汗がひどく、緊張すると特にひどい。
汗で答案用紙を破く可能性があるため、ハンカチを使えるよう
別室受験などご配慮いただけないだろうか?』
薬を飲み始めてからその頃で2週間、劇的に汗が止まった、ということもなく
(若干は減っている)
汗を支障がないレベルまで止めるのは無理と判断した。
担任の先生も『受験校に申し入れをします』とのこと。
別室受験は基本的に、体に何らかの障害がある人や
体調を崩した人が受けるものだが、過去に手汗で
別室受験をした、という話は聞いたことがない。
果たしてどうなるか?
もちろん、診断書も取るつもりでいた。
それから数日後、吹奏楽コンクール地区大会が始まった。
無事に地区大会をゴールド金賞、地区代表となり、
それから2週間後、県大会。
これも無事、ゴールド金賞、県代表として東北大会行きが決まる。
8月下旬、東北大会が青森で行われ、なんとそこで
ゴールド金賞、全国大会に推薦された。
初の全国大会出場です。
全国大会は10月末『吹奏楽の甲子園』と呼ばれる
東京の『普門館』で。
その後、娘の受験に関して、いろいろと動きが出た。
複数の私立高校から、部活特待の話が舞い込んだ。
特に娘は受験する高校を決めていなかったのと、
高校でも部活を頑張りたいという希望があった為、
この話には娘自身が乗り気だった。
そして10月末、全国大会、初出場ながら銀賞受賞。
大満足の結果。
大体の子が、部活を引退する時は運動部の子なら
負けて引退、ということが多いのに、この子は
最後の最後まで笑って部活を引退できた。
とても幸せなことだと思った。
その後、部活特待の話を持ちかけてきた学校の部の顧問と
いろいろ話をしながら、娘はそのうちのひとつの高校に
進学すると決めた。
それと同時にこちらも高校の部活の顧問に
『そちらにお世話になるので、できれば今のうちから
部活に参加させてもらえないか?』
と頼んだところ『どうぞいらしてください』と快諾。
部活特待で進学するのに、入学までの半年近くを
楽器を吹かず過ごしてテクニックが落ちてしまっては
元も子もないためだ。
入試前、中3の12月から高校の部活に参加。
年が明け1月中旬、特待生入試。
実のところ、三者面談で頼んでいた
別室受験を受験校に申し入れする件は、
担任との話し合いの上、しなかった。
というのも、12月の三者面談の時に言われたのが
『特待生入試で高校側からのスカウトでの受験の場合
落ちることはないので緊張も少ないでしょう』
とのこと。
娘も12月から部活に通い、知らない場所ではなかったのと、
落ちることのない受験だったので安心していたし、
汗もかいたけど、さほど気になるレベルではなかったらしい。
翌日、無事に合格通知が届き、すぐに入学金振込みなど
手続きを済ませ、周囲がこれから受験という中、
悠々自適な生活を送っていた。
そして、卒業式で歌う『大地讃頌』のピアノ伴奏も
任されることになり、日々練習。
そんな風に卒業式まで時間を過ごしていたが、
卒業式前日、あの東日本大震災が起き・・・。
卒業式が一週間遅れ、歌うはずだった『大地讃頌』も
こんな状況下で『讃えよ大地を』と歌えないという理由で
なくなってしまったが・・・。
公立高受験の子は、合格発表が遅れ、その後の手続きも
交通・金融機関が動いていなくて大変だったようだが、
ウチは全て済ませていたため、安心して春休みを過ごした。
4月になり、2週間遅れで入学説明会が行われ、
娘の学校は被害が少なかったため、
4月中旬、よその学校よりも少し早く、入学式が行われた。
ちなみに部活は学校が復旧した4月初旬から通っていた。
こんな風に何とか、手汗と付き合いながら
受験期をやり過ごした。
緊張しない受験だったことも、手汗をやり過ごすことができた
大きな理由だったが、担任の先生もいろいろと理解してくださったのも
大きな安心だった。
でも、こういう人生の分かれ目の場面での手汗って
本当に対応が難しいと思う。
でもまだこれは一回目に過ぎず、この先、大学受験なり
就職試験、と考えると、いろいろと心配ごとは尽きない。
さて、この先はどうなるか・・・。