全然へっちゃらのことを「平気の平左」と言う。

ところで”平左”って誰だ?

物に動じない豪傑だったのだろうか?

 

平左っていえばもちろん平左衛門のこと。たぶん武士だな。

では、平左衛門のことを調べてみよう。

 

検索してみてまず見つかるのは平左衛門尉頼綱。

いや、ちょっと待て。これは「へいざえもん」じゃなくて「たいら」の「さえもんのじょう」だ。

でも、「平左衛門地獄」というのは気になる。

北条得宗家として権力をふるった頼綱はその死後、屋敷が地中に沈んだという。

それを称して「平左衛門地獄」。う~ん、見てみたかった。

でも、全くもって「平気の平左」じゃない。

 

次は橋本平左衛門。

赤穂浪士だが大阪で遊女と馴染みを重ね、討ち入り前に心中。

これも「平気の平左」じゃないな。

いや、浅野内匠頭の切腹にたいして「平気の平左」か?

 

倉地平左衛門という人もいる。

岡崎城主松平氏に仕えた戦国の武士。

三河の一向一揆に参加し討ち取られている。

『どうする家康』にも出ているようだが「平気の平左」じゃない。

 

井戸平左衛門正明。

江戸中期の幕臣。石見銀山を治める。

享保の大飢饉に際しては幕府の許可を待たず年貢の減免、年貢米の放出等で領民の危機を救う。

それが災いして切腹したもと言われている。

「平気の平左」だったのは領民の方かもしれない。

 

伊藤平左衛門。

幕末から明治にかけての尾張の工匠。東本願寺御影堂などを作った。

「平気」だったかどうかは分からない。

 

日比谷平左衛門。

明治の実業家。福沢諭吉に学ぶ。

日清紡、鐘紡などの設立にかかわる「日本紡績界の巨人」。

別に「平気」な訳じゃない。

 

大塩平左衛門。

江戸初期に会津藩の代官、雄国新田開発の父。

名前は似ているが大塩平八郎とは無縁のようだ。

特に「平気」だった訳ではなさそうだ。

 

上月平左衛門。

江戸中期の播磨国福本藩の人。

享保の大飢饉に際し、幕府の役人に直訴の旅に出ますが囚われて惨殺。

「平気」な訳がない。

井戸平左衛門がいてくれてれば・・。

 

中村平左衛門。

江戸中期に小倉藩で55年間日記をつけていた庄屋さん。

えっ、それだけ?いや、こういうのがちゃんとした史料になるのですよ。

マジメだけど「平気」じゃない。

 

平左衛門カフェ。

上越市の古民家カフェ。

食べログ評価3.15。カレーがメインなのかな?

時代的に「平気の平左」と関係ない。

 

平左衛門箸。

いや、兵左衛門箸です。

今回は対象外。

でも、結婚式の贈答にもなるいい箸らしいですよ。

 

平左衛門の湯。

熱海七湯。小沢の湯とも。

人が大声で呼べば大きく湧き、小声で呼べば小さく湧いていたらしい。

えっ、ホント?これは「平気」じゃないな。

 

 

さてさて、もうだいぶ長くなってしまいました。

結局、「平気の平左衛門」には会えず仕舞い。

やっぱり単にゴロ合わせだけだったのかな?


今回は無駄に終わったみたいだけど井土平左衛門に出会えたのだけが収穫だ。

まだまだいろんな謎に挑んでいくぞ!