美濃福束城は天下の名城?? | もうちょまのブログ

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CQ……日々を綴ります…。

丸毛兼利(まるもかねとし)の居城 

福束城(ふくづかじょう)

真顔…誰それ?何処それ?

 

超マイナーな武将で信長の野望

(最近のはプレイしていないから知らないけれど)にも

出てこないだろう…と思いますショボーン

 

その丸毛兼利の居城、福束城三浦正幸によると

『備中高松城を越えた不落の平城』

だというえー

 

 

 

ちなみにこの三浦正幸広島大学名誉教授で

『麒麟がくる』『青天を衝け』『鎌倉殿の13人』

今年の『どうする家康』の建築考証を務めていらっしゃる

工学博士です

 

 

 

史実としては関ヶ原の合戦の1ケ月前の前哨戦

福束の戦い(二日間)で丸毛兼利は破れ福束城も開城してしまうのですが…


 

ニヤリ正直、ホンマかいな?と脳内??だらけ…アセアセ

 

輪之内町主催の丸毛サミット

三年に一度の開催で今回3回目

 

そして今回の目玉が三浦正幸博士の講演です

 

 

毛利方の清水宗治が立て籠る備中高松城を羽柴秀吉は水攻めにしました

備中高松城は約1ケ月間の籠城を持ち堪えました

もっとも本能寺の変を知り秀吉が急遽講和したので

実際はもう少し持ち堪えたかもしれません

 

 

その備中高松城を越えると博士は言います

随分と大風呂敷を…タラー

 

興味ある講演を要約というか超約しますと…

 

当時の西濃地方は河川が網目の様に入り乱れる正に教科書にある様な輪中地帯

揖斐川の自然堤防の縁にあった福束城

周りは湿地甲冑を着た兵の行軍は無理だったそうで

足首までしか浸からない程度の浅田でもゆっくりの行軍しか出来ない

膝まで浸かる深田では歩行もままならない状態で城内からの格好の鉄砲、矢の餌食

近付く事も出来ません

 

 

そして北側は大河、揖斐川が流れており渡河もままならない立地

 

 

この様な湿地にある城を攻略するには

先の備中高松城 映画 のぼうの城にもなった忍城の様に

水攻めにするのが効率的な方法ですが…

 

 

現代技術でも揖斐川クラスの大河を堰き止めるのは難しく

当時の人力ではほぼ無理だという

 

博士が復元した福束城の推定図

 

 

城内面積、周長から考えると必要兵数は1000人

当時の丸毛氏の石高、2万石ですと推定総兵力は1000人未満

 

これだと不眠不休で見張りにつかないといけないので

二交代なら2000人、三交代なら3000人の兵がいれば

余裕で守れるお城だといいます

そしてこの福束城の復元図ですと最大収容兵力は3000人だったそうです

 

爆  笑面白い!

 

博士曰くこれらのことから福束城

不落の城、名城だったそうです

 

 

ショボーンでは、何故、丸毛兼利は負けてしまったのか…

 

 

丸毛兼利福束城のスペックを信じて籠城しなかった事

勇猛果敢過ぎて、撃って出てしまった事

そして石田三成が福束城に東軍の兵が着く前に

援軍、武器、兵糧を送れなかった事

これらが大きな敗因だと結論づけていました

 

 

歴史のIFですが…

福束の戦いの前に石田三成が援軍、兵糧を送り

丸毛兼利が地の利を活かし福束城に籠城していれば

何ヶ月も籠城出来た…と

 

笑い泣きま、地元に対するリップサービスもあると思いますが笑い

 

 

忍城の攻略を任されたのは石田三成で、

あの戦いで湿地にある城の粘り強さを

嫌という程思い知った筈なのに…

同じ様な立地の福束城に対して

有効的な戦略を持てなかった事が残念ですね

 

 

やはり石田三成、豊臣に忠義を尽くした所は

個人的に私は好きですが…

官僚としての才はあっても

戦は下手だったと言わざるをえなかったのかな…タラー

 

 

丸毛サミットの最後に

三浦博士歴史系アーティストさくらゆきさん

トークショーが行われ

建築考証の目から見る大河ドラマの裏側を話していただいて

大変興味のある内容でした!