実母も夫も義母も、共通していることがあって

他の人には決して言わない・やらないようなことを

わたしに対しては平気で言ったり、やったりしてくるということ。

誰に対しても、感情のままの理不尽な言動や、暴言や暴力があるとするならば、

それはその本人に倫理観や道徳観念がないということになるけれど、

あきらかに対象を選んでいるのだから、

みんなこころに倫理観などはもちあわせている証拠。

それがなぜかわたしには、平気で土足で踏み込んでくることをするのか

夫に聞いてみた。


「3人ともわたしだけを選んで土足で踏み込んでくるよね?」

『そうだね』

「どうして他の人にしたらいけないと理解できていることなのに、

わたしには平気で土足で踏み込んでくるの?」

『うーん・・・。お前が優しいからからじゃない?

我慢強いっていうのがわかってるし。

お前に対しては土足で踏み込んだっていいって感覚があるんだよね』



という答えが返ってきた。




うーーん・・・・やっぱり私自身の境界線があやふやになっていて、

他者が土足で踏み込んできやすいのだろうか。



わたし自身が自分をしっかりと守れるようにならないと、

身近な人たちのサンドバッグのような、理不尽なことは

なくならないのかもしれない。



わたしのクリアすべきテーマは自分を大切にするということなのだろうか。











自分で発した言葉

その先にある相手の応対

なんとなく・・・機嫌がよくないだろうか

なんとなく・・・怒っているのだろうか

なんとなく・・・気に入らないのだろうか


どこまで責任を感じてもいいのだろう?

もしかしたら、相手にはなにか事情があるのかもしれない

なにか腹の立つことがあったのかもしれない


とくに怒らせるような発言をしたわけでもないのに

感謝の気持ちを伝えたり

悪いことを言ったわけでないときでも


なぜだか相手の言動がとても気にかかる


明らかに怒らせるようなことをしたときは謝ることが大切


だけど、なにも思い当たることがないのに、

相手の機嫌にまで責任を感じるのは大変だ・・・・


責任を感じすぎる癖もなおしていきたいと思う



どこからどこまでが自分の責任なのか

そのラインを見極めることはなかなかむずかしい

(_ _。)


まぁ実際いろいろと考えすぎなのだけど

思考にとりつかれているようだ

いつもいつも思考してばかりで辟易


ねばならないの思考法で追いつめる癖

自分の首を自分で絞めてしまう


生き苦しい・・・・・・・・・・・



思考よりも感情を大切にしたいなぁと思う今日この頃

Oo。。( ̄¬ ̄*)




中心にするのは、他者がどう感じるか・どう考えるか

ではなくて、

自分がどう感じるか・どう考えるか



それが、今まで人がどう思うか、どう感じるかばかりを

考えてしまって、

自分がどうしたいのかということが

おろそかになってしまっていた。



自分の感覚を大切にしよう。


自分を大切にしよう。


わたしの人生。

わたしの時間。



そういうこと、少しずつでも、実感していけるように、

1ミリずつでも進もうと思う。


(´・ω・`)