兄 VS 白血病+顆粒球肉腫 との戦闘記録

兄 VS 白血病+顆粒球肉腫 との戦闘記録

2019年8月
急性骨髄性白血病+顆粒球肉腫を発症した
兄の闘病生活とそれを一緒に支える周りの日常

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2019年8月14日

お盆休みの真っ最中でひどく蒸し暑い日。

この日は3年前に亡くなった祖父の法事があるので祖母の家に親戚が集まるからあんたもおいで。と

連絡を受けてたので、私は了承の返事をしてそのまま実家に帰省することも伝えていた。

祖母の家に行くとたくさんの親戚が集まっていた。両親と伯父と叔母。従妹家族と従兄家族も来ていたので

2歳、1歳、生後3カ月の子供も集まってとっても賑やかだった。その中で兄は部屋の隅に座っていた。

兄は大量の汗を流しながら浅く荒く呼吸をしていて、まるでこの真夏日の中全速力で走ってきたかのようだった。

私は兄の横に座り、具合悪いのか聞くと、兄は話づらそうに答えてくれた。

 

「先月末ぐらいから、胸と肩が、痛くて…。整形外科に行ったら、肋間神経痛じゃないかって、言われた

レントゲンも一応、撮ったけど、肺に異常は見られなかった、って」

 

横で聞いていた母が、まずは内科に行かないと!お盆明けすぐまた病院行ってみな!と

兄に口酸っぱくして言っていた為、兄も了承していて、その様子を私は呑気に祖母が出してくれた

お菓子を食べながら聞いていた。

 

 

その二日後、私はあのまま実家に帰省して泊まっていた。

朝起きると居間で顔を青くした両親がバタバタと忙しなく動いていた。

「どうかしたの?」と私が聞くと、母は早口で私に言った。

 

「お兄ちゃん、緊急で入院して、今処置されてるみたいなの。そのまま入院になるから、着替え持って行かなくちゃ」

 

私はそれを聞いて寝ていた脳がやっと目覚めた気がした。父も行きたそうにしていたが腰が悪くて

長時間の外出は厳しいので家にいるよう説得し、私と母とで病院に向かうことした。

病院に向かって看護師さんに案内された処置室の前に行くと、兄の彼女が立っていてこちらに気づいて会釈をした。

母がどうしてこんなことになったのか経緯を聞いた。

 

「親戚との集まりの前から、具合悪かったみたいで、ここ最近は人が足りないからって

職場にタクシーを使ってまで仕事行ってたんですけど、今日限界だったみたいで、病院来たら…」

「なんで、もっと早く病院に行かせなかったの?」

 

母は兄の彼女の言葉を被せるように食い気味にそう言った。怒鳴りはしていないけど怒りをぶつけていることは

すぐにわかった。兄の彼女は何も言えず下を向いて黙ってしまった。とりあえず、入院に足りない携帯の充電器とか

そういう必要な物を持ってきてくれないか。と兄の彼女にお願いして、兄の彼女はそのままその場を立ち去った。

私も当時、兄の彼女に母と同じことを思っていたが、今思えば八つ当たりをしていたと思うし、私もあの親戚の集まりの時

すぐ病院に行かせれば何か変わっていたのだろうかと酷く後悔した。きっとそれは、母も同じとを思っていたと思う。

 

しばらくして処置室から、看護師さんがぞろぞろと出て行き

最後に部屋から出てきたお医者さんが私達に気づいて会釈をした。

ご家族の方ですか?と聞かれたのでそうだと返事すると、お医者さんは淡々と兄のことを説明してくれた。

 

「片方の肺に大量の水があって内臓すべて押しつぶしていた状況でした。今水をある程度は抜きましたが、

それでも大量に水が残っています。一気に水を抜くことは出来ないので、とりあえずの処置しか出来ていません」

 

それを聞いた母は冷静を保って兄は何かの病気なのかとお医者さんに伺った。

 

「ちゃんとこれから検査してみないとわかりませんが、症状から見解して上げられる病名が

結核、肺癌などの可能性が高いです。とりあえずもう少しかかるので、待合室でお待ちください。またお呼びします」

 

そう言ってその場を去っていたお医者さんをただ見送ることしか出来なくて、言葉が出てこなかった。

横にいた母がぼそっと「癌だったら、どうしよう。泣きそう」と声を漏らした。

小さく震える母を連れて私は言われた通り待合室で待つことにした。その時私は

「きっと重い病気じゃない。ちょっと入院したらすぐ治るに決まっている」と思い込んでいた。

母と一緒にただただ長い時間呼ばれるのを待っていると、やっと看護師さんが来て

兄のいる部屋に案内をしてくれた。たった2日で兄はすっかりやつれていた。

その後またお医者さんがやってきて、

早急に検査して分かり次第また連絡しますと言われたので

私と母はひとまずその日は帰ることにした。


私のお盆休み中に連絡は来ることなく、私はそのままお盆を開けて

実家からの連絡を待ちながら仕事へ出ることにした。


母から兄が急性骨髄性白血病だと連絡を受けたのは、兄が緊急入院してから四日後の事だった。