靴紐が解けたなら結び方を知っていれば、もう一度結び直すことは容易だ。
しかし、人間関係はそうはいかない。結び方を知っていそうで、実は全然知らないから。
今ある人間関係もどうやって結んだのだか、思い出せない。
その結び方も人により千差万別で、いつも同じ結び方では結べない。
そして、結ぶにはお互いの協力が必須で、片方だけが懸命に結ぼうとしても結べるものではない。
そうして、何とか結んだ関係も、時とともに緩んだり、あるいはもう解きたいと思っても、どうにも解けないほど固く結ばれてしまっていたり。
個人の思惑だけで、簡単に結んだり解いたりできない。
解けただけならどうにか修復の途はありそうに思えるけど、ほつれたらもう駄目かもしれない。
紐そのものがほつれて、バラけて結べるほどの強度を保てなくなったなら、もうその関係は修復不可能だろう。
そこの見極めも、難しくて、もう駄目になった紐を必死に結ぼうと試みて、おかしな行動をとってしまったりする。
もう切れてしまった紐の先端を持って途方に暮れる。
とっくにほつれて千切れた紐の両端をお互いが持って、結べるはずもないのに何とか結ぼうとしているようなやるせなさ。
ここまで駄目になった関係を修復して一体何がしたいのか。
出てくる人間、皆すかしてて、深刻めかしてはいるが、馬鹿なことしかしてない。
同じやるなら、もっと楽しそうにやればいいのに。