前回は嘆きで終わった。

しかし、そこで終わっていては何の解決にもならない。
そこで、僕からは、なぜ君たちが間違っているのかを、明確にするために、1本の道をたてよう。


まず、自分たちの都合だけで、ついてこないもの、つまり不都合なものを切り捨てていく考えは、典型的な合理主義と言えよう。
一見間違っていないように見える。活動を効率的に行うには切り捨てたほうが早いかもしれない。
しかし、そこへ2つの異論がある。1つは、切り捨てたところで、結局何がしたいのかを明確にしていなければ、その切り捨ては全く意味がないと言うことである。
「モチベーションが低い人のせいで、高い人まで低くなる」から切り捨てるとするならば、ちゃんちゃらおかしい話である。なぜならば、そのモチベーションの高い低いは、いったい誰が決めたのか。その基準は何なのかを問いたい。
活動へ参加していない人の中には、君たちよりもモチベーションが高い人もいるだろう。また逆に、参加していてもモチベーションが低い人もいるだろう。
そうしたことからも分かるだろうか。モチベーションの高低など、切り捨てる要因にならないのである。またそれは、自己に目を向けずに他者、他へと責任を転化しているだけなのである。
切り捨てる、しないの前に、まずは何を自分たちはしたいのか、何をしなければならないのかを明確にしなければ、議論にすらならない。その明確にしていくことを、ビジョンと言うのである。
そのビジョンも、「モチベーションの低い人を切って、高い人達でやったほうが盛り上がる」と考えているのであれば、先のこともあるが、このビジョン自体、曖昧であり、意味がない。
なぜなら、モチベーションの高低は先に述べたので、ここでは割愛するが、「盛り上がる」とはいったいどういうことなのか。その盛り上がった姿を具体的に表してこそ、初めてビジョンと言えるのである。
例えを出そう。
今の伝道部は元気がなく、そのせいで、雰囲気も暗くなって、楽しくない。
そうした声があった時に、「じゃぁ、明るく元気な伝道部にしよう」とビジョンを立てようとするが、それは抽象的なビジョンであり、具体性がない。
そんなもの誰だって分かるし、同じような考えに至る。ではどういったことが具体的ビジョンとなるのか。
僕なら、まずこうしたビジョンを提示するだろう。

「半年後、新入生だけでなく、在部員全員が、BOXに来た際や、活動に入ってきた際に、大きな声で挨拶できるサークルにします」
「その為にも、まず、BOXに入ってくる際には、徹底して大きな声で挨拶するよう、先輩だけでなく、後輩からも声を掛け合っていきます。特に新歓時期は、準備期間中から挨拶と笑顔を徹底させ、新入生が入って来やすい環境を作ります。そして、執行部が率先して指導していきます。しかし、逆に執行部ができていないときは、みなさんから執行部に対し指導してください。」
「その積み重ねが、半年後に繋がります。半年後、どのサークルから見ても伝道部は挨拶ができるサークルと思ってもらえるようにします。」

以上

まぁあくまでも、1プランでしかないが、今の伝道部よりは明確かつビジョンとして成立していると、自負できる。
もちろん、自負するが、決して優越的な考えはない。
このように、明確で具体的なビジョンを掲げないままでいては、何も始まらないのである。
結局のところ、それをなしにして切り捨てるという行為をしても意味がないのだ。ビジョンがないのだから、切った後でまた同じ壁にぶち当たり、どうしていいか分からずに、ただ単に活動するだけとなり、また離れていく状況が生じるだろう。そのときは、また切り捨てるしか考えれないのではないだろうか。
ただ、これだけは言える。
君たちが切り捨てようとしている中には、僕が提示した様な、具体的なビジョンを提示できる人がいるのだ。ちゃんと芽は育っているのだ。それに気がついていない、いや、見ていない、見れていないのが君たちだ。
小さな芽に気が付かずに、踏みにじっているに近いのだ。
だからこそ、君たちの考えは間違っているのだ。

これが1つめの異論である。
次に2つめの異論といきたいが、後日、必ず書くこととして、今日は…