今日、4月24日はオイラにとって、とても特別な日です…
というのも、今日はおじいちゃんの命日なんですよ。
ここでこうやって書くと、軽く思われるかも知れないけど、書かずにはいれない気持ちになりました…
ここでは書き切れない思いがありますが、溢れ出す涙を抑えながら、少しながら書きたいと思います…
今から7年前の今日、朝3時43分に、言葉では言い表せない悲しみに包まれました…
今、思い出すだけでも、涙が溢れ出てきます。
小さい頃から、ずーっとおじいちゃん子だったオイラ…
楽しい時もすぐにおじいちゃんのところへ言って、一緒に笑い、怒られて泣いた時はすぐにおじいちゃんのところへ逃げてたオイラ…
思い返せば、オイラにずっと共感してくれてた存在がおじいちゃんでした。
優しいだけじゃなく、叱る時にはちゃんと叱り、年なんて関係ないくらいの力で怒られたこともありました。
でも、すぐにまたおじいちゃんのところに行くオイラ…。やっぱりおじいちゃんが大好きだったんだな…
オイラが大きくなるに連れて、おじいちゃんも歳をとっていく。そして、おじいちゃんは、ずっと患っていた、肺の方が徐々に徐々にと歳とともに悪化していきました…
それでも、おじいちゃんのところへ行くと喜んでくれ、ずっと共感してくれる存在でした…
嘘やんって思うかもしれないけど、うちのような大家族の中で常に中心にいたおじいちゃん…
その中心が無くなるなんてことは考えもしなかったし、当たり前のことだと思ってた…
でも、人は生まれた時から同時に死と隣り合わせ…、そぅ、その時が来てしまったんですね。
病状が悪化し、入院…
治る見込みもあり、早く良くなってね!!って家族みんながずっと思ってた。
本当、良くなってまた家族で一緒に笑ったりして、ご飯を食べようよ!一緒に生活しようよって思ってたんよ…
しかし、時は来た…。症状が悪化し、家族が呼ばれた…
オイラが、家族が、みんなが必死に「おじいちゃん!!おじいちゃん!!」って叫んだ。涙を流しながら叫んだ。
…
「心拍停止…、呼吸停止…、瞳孔開いたまま…。…、4月24日午前3時43分。御臨終です…」
その言葉を聞いた時、何か体の力が全て抜けた…
そして、すぐに、大粒の涙が溢れ出し、おじいちゃんとの思い出が走馬灯の如く頭を駆け抜けた…。
涙がとまらない…、とまらないよ…。
おじいちゃん…
現代医療の技術を持ってしても、人の死は避けることができなかった…
人は、生きる、老いる、病む、最期に死ぬ。それを身を持って教えてくれたのがおじいちゃんでした…
最期の最期までオイラ達に教えてくれた存在でした…
その存在は姿、形がなくなったとしても、残っている…
今でも家族の中におじいちゃんがいる気がしてならないし、遺してくれたモノが生きている。
また、あんなに悲しくて悲しくてたまらないのに、その悲しみがあの時に比べ薄れていく自分がいました…。あんなに悲しかったのに、お腹がすき、眠たくなる自分がいました…
あんなに好きだったおじいちゃんがなくなった日なのに、自分の歯が痛く、自分自分に生きる自分の姿を見ることになりました…
でもね、そういった存在なんだよ、どこまで行っても自分中心にしか生きれないのが人間なんだよ!!とおじいちゃんが教えてくれた気がしました…
そういった自分の姿を見て、内省する。けれども、また自分に埋没する自分…。そこでまた内省、埋没…と、その繰り返しの中で人は成長できるのかなともあらためて思いました。
こういったことに気付かせてくれた、それが還相回向のはたらきでもあるのかな…とも思いながら、日暮らしをさせてもらっています。
というのも、今日はおじいちゃんの命日なんですよ。
ここでこうやって書くと、軽く思われるかも知れないけど、書かずにはいれない気持ちになりました…
ここでは書き切れない思いがありますが、溢れ出す涙を抑えながら、少しながら書きたいと思います…
今から7年前の今日、朝3時43分に、言葉では言い表せない悲しみに包まれました…
今、思い出すだけでも、涙が溢れ出てきます。
小さい頃から、ずーっとおじいちゃん子だったオイラ…
楽しい時もすぐにおじいちゃんのところへ言って、一緒に笑い、怒られて泣いた時はすぐにおじいちゃんのところへ逃げてたオイラ…
思い返せば、オイラにずっと共感してくれてた存在がおじいちゃんでした。
優しいだけじゃなく、叱る時にはちゃんと叱り、年なんて関係ないくらいの力で怒られたこともありました。
でも、すぐにまたおじいちゃんのところに行くオイラ…。やっぱりおじいちゃんが大好きだったんだな…
オイラが大きくなるに連れて、おじいちゃんも歳をとっていく。そして、おじいちゃんは、ずっと患っていた、肺の方が徐々に徐々にと歳とともに悪化していきました…
それでも、おじいちゃんのところへ行くと喜んでくれ、ずっと共感してくれる存在でした…
嘘やんって思うかもしれないけど、うちのような大家族の中で常に中心にいたおじいちゃん…
その中心が無くなるなんてことは考えもしなかったし、当たり前のことだと思ってた…
でも、人は生まれた時から同時に死と隣り合わせ…、そぅ、その時が来てしまったんですね。
病状が悪化し、入院…
治る見込みもあり、早く良くなってね!!って家族みんながずっと思ってた。
本当、良くなってまた家族で一緒に笑ったりして、ご飯を食べようよ!一緒に生活しようよって思ってたんよ…
しかし、時は来た…。症状が悪化し、家族が呼ばれた…
オイラが、家族が、みんなが必死に「おじいちゃん!!おじいちゃん!!」って叫んだ。涙を流しながら叫んだ。
…
「心拍停止…、呼吸停止…、瞳孔開いたまま…。…、4月24日午前3時43分。御臨終です…」
その言葉を聞いた時、何か体の力が全て抜けた…
そして、すぐに、大粒の涙が溢れ出し、おじいちゃんとの思い出が走馬灯の如く頭を駆け抜けた…。
涙がとまらない…、とまらないよ…。
おじいちゃん…
現代医療の技術を持ってしても、人の死は避けることができなかった…
人は、生きる、老いる、病む、最期に死ぬ。それを身を持って教えてくれたのがおじいちゃんでした…
最期の最期までオイラ達に教えてくれた存在でした…
その存在は姿、形がなくなったとしても、残っている…
今でも家族の中におじいちゃんがいる気がしてならないし、遺してくれたモノが生きている。
また、あんなに悲しくて悲しくてたまらないのに、その悲しみがあの時に比べ薄れていく自分がいました…。あんなに悲しかったのに、お腹がすき、眠たくなる自分がいました…
あんなに好きだったおじいちゃんがなくなった日なのに、自分の歯が痛く、自分自分に生きる自分の姿を見ることになりました…
でもね、そういった存在なんだよ、どこまで行っても自分中心にしか生きれないのが人間なんだよ!!とおじいちゃんが教えてくれた気がしました…
そういった自分の姿を見て、内省する。けれども、また自分に埋没する自分…。そこでまた内省、埋没…と、その繰り返しの中で人は成長できるのかなともあらためて思いました。
こういったことに気付かせてくれた、それが還相回向のはたらきでもあるのかな…とも思いながら、日暮らしをさせてもらっています。