小さい頃から事あるごとに怒っていた。
はっきりした理由がある時もあれば、
暑い、寒い、
埃っぽい、湿っている、
気持ちが悪い、
などの感覚的な不快が高じて叫ぶ、
みたいなこともあった気がする。
母からはその都度、
「癇癪持ち!」やら、
「もう!ほんとに神経質!」
「この内弁慶が!」
と罵られていたのだが、
実際、当時その言葉の意味はわかってはいなかった。
しかし、
それらは誉め言葉ではなく、
嫌味の類であろうことは
幼くとも理解ができたので、
「何でそんなこと言うの~! お母さんなんて大嫌い!」
などと少ないボキャブラリーを必死に使って
泣きながらやり返していたものだ。
他にも、
ことあるごとに母から、
「あ~。お母さんに似れば良かったのにね。
あっちに似てしまったからこんなになってしまって」
といったようなことを言われるのは日常茶飯事で。
それでも、始めに述べたような
喧嘩じみた状態で言われるのならば
多少は納得行くのだが、
母に似たほうがかわいかった的な言葉をかけられるのは
いつだって食事後やら、
おやつを食べている時などの
誰も怒っている人はいない
のんびりした時間で
ゆえにこちらも戦闘モードではないので、
「そんなこと言ってもしょうがないでしょ」
と返すのが精いっぱいだった。
しかし、である。
今になって思う。
「あれはいったい何だったんでしょう?」と。
母に関係なく、
学校やら家の外で受けたことが理由で
家に帰ってからひとりで
爆発を起こしていたこともあったので、
母の一方的なものではないとわかってはいるのだが、
それにしては少々しつこいと感じる瞬間も多く、
心の奥に何かがずっと残っていた。
それがこのたび、
年を取ったからか最近怒らなくなったこと
について書こうと思い立ち、
つらつら文字を並べていたら、
思っていたのとは違う方向へ舵を切っていて
気が付けば母との言葉の絡みが
謎のままだったことを思い出した。
母とのやりとりや関係を手繰っていくと
そこには父やその母であるところの祖母も現れて。
詰まるところは、
嫁ぎ先である父の家へ対する不満を
父や祖母に似ている私に投げつけることで
精神安定を図っていたのかもしれない。
それと、
私に物心がつくずっと前。
脱腸で入院して手術を終えてから退院の際、
母が喜び勇んで迎えに行ったのに
私が世話してくれた看護師になついていて
帰りたがらなかったことについても
よくよく恨めしそうに話していたので、
この時点でもすでに私は
しっかり母の怒りを買っていたのだろう。
それだけでなく、
出産予定日より二週間遅れて
難産で大変な思いをして産んだ話をしても、
「おかあさん!ほんとうにありがとう!」
といったようなわかりやすい感謝の言葉をかけて貰えないので、
そのうち、
「あんたたちはおかあさんがおとうさんにお願いしたから生まれて来れたのよ」
と私と弟に向かってえんえん話すようになっていたのだが、
「へ~」とか「ふう~ん」
としか言わなかったことにもよくよく不満を募らせていたのだろう。
幼き頃から今まで振り返ってみて。
これまで母には一方的に
私ばかりが悪いと言われて育って来たのだが、
「そうでもなくね?」
と胸を張って言えるところまで辿り着けたように思う。
とは言え。
母とは十五年会っておらず。
ゆえにわざわざ胸を張りに行くこともないのだが、
一件落着の気分には違いなく。
今宵のビールは美味しくなりそうだ。