「人を見た目で判断してんじゃないよ!」

 

と巷ではよく聞かれるが、

私もそんなふうに叫びたくなることが

これまでかなりあった。

 

しかし、斯く言う私も、

人を外見で判断して来なかったことはなく、

初対面であれば尚更、

見た感じでどんな人なのかを

想像を踏まえて話をしていた。

 

 

「人は見かけに寄らない」

 

というのもよく耳にするフレーズだが、

これは、

対象者が自分が想像していたのと異なる性格だったり、

考え方だったり、生い立ちだったり、

を有していることがわかった際に

思ったり、口にする言葉である。

 

 

誰しも出会った人を、

まずは「見た目で判断」して

その逢瀬に入り込み、

そこから時間を重ねて相手への理解を深めて

「見かけによらない」に至る。

 

でも時々は、

「見た目通り」と感じるような人もいたりするが、

実際には自分が思っていた通りの人がいるわけはなく、

たとえ始めはそう感じたとしても、

いずれ「見かけによらない」に至る。

 

 

 

では見た目とはいったい何なのか?

 

文字通り人の外見ではあるが、

その外見を拵えているのは誰か?

 

 

他ならぬその人である。

 

 

ということはである。

人は「こう見られたい!」ということが

意識無意識問わず根底にあって、

その自分を表現するべく装いをしている

と考えることができる。

 

それで、

その自分の狙いと違うところを

他者から告げられることで

ある種の期待はずれが起こり、

 

「人を見た目で判断してんじゃないよ!」

 

という怒りにも似た感情が噴出する。

 

 

実際にこういう摩擦が起きると、

自ずと人を見た目で判断した方が悪いということになり、

見た目で判断された側に謝罪を要求されることがある。

 

 

しかしどうだろう。

本当に見た目で判断した方が悪いのだろうか?

 

「自分はこういう人物である、

 と誰が見てもわかるような見た目であったのか?」

 

という自問がなされたならば、

見た目で判断をした方に

すぐさまの謝罪を求めたりではできないだろう。

 

 

自分の演出が完璧ならば、

周囲に誤解されるはずはなく、

つまるところ、

求めるのは相手への謝罪ではなく、

自らへの反省なのではないだろうか。

 

 

もちろん、

こちらがどんなに上手い装いをしていたとしても

受取側の技量度量が無いゆえに、

伝わらないこともあるだろう。

 

けれども、

たいていはこちら側の

完璧ではない見た目が引き起こして来たことである

と言えるではないだろうか?

 

 

振り返れば、

幼い頃からそれは起こっていて。

 

短髪だったのもあるが、

よく男の子に間違えられた。

 

女の子に見られたければ、

そういう服装や振る舞いをすれば良かったのだが、

そうはせず男の子に見られても致し方ないような恰好をしていた。

 

 

大人になったら、

男性に見られることは無くなったが、

国内海外問わず中国語や韓国語で話しかけられたり、

中国人や韓国人に間違われたりする。

 

「何で?」

 

最初の頃は思ったが、

 

以前、先輩が私の顔をしげしげ眺めて、

 

「新疆ウイグル地区にいそうだな」

 

と言っていたということを置いておいたとしても、

 

一般的な日本人は選ばない、

中国人や韓国人が好んで着ていそうな

濃くて派手な色の服を好んで着ている。

 

日本人以外に間違われるのが嫌であれば、

地味な色の服を着ればいいのだが、

そこは着たくないので致し方ない。

 

そうなると、

見た目で判断した方にすべての非はなく、

 

「見た目で判断されたからと言って

 怒り倒すのは筋が違うよなあ」

 

と思い至った。

 

 

私は昔から気が強く怒りっぽく、

スイッチが入ると

噛みつくような性格を有しているのだが、

 

初対面や付き合い浅い人からは、

『のんびり穏やかな人』

とレッテルを貼られることがほとんどで、

 

真反対とも思える周りの反応が

ずっと不思議に思って生きて来たのだが、

先日、真反対とも思える人物に遭遇して

 

人の外見、見た目というものは、

己の真の弱点を和らげる

緩衝材のようなものなのではないかと気づいたのである。

 

 

その人物というのは男性で、

目が異様にギョロギョロしていて、

一つに束ねられた量の多い長い髪の毛は

腰の辺りまで垂れていて、

顔中は髭で覆われていた。

 

服装はインドやタイなど熱帯エリアに住んでいる人が

着ていそうな大雑把なもので、

それを着ている体躯は朝黒く太く、加えて猫背で、

まるでマタギかネイティブアメリカンのようだった。

 

出くわした時には、

背後に斧でも隠していて、

何か要らぬことを言ったら

首根っこ押さえられて、

刈り取られるのではないかと想像したのだが、

 

話してみると過ぎるほど穏やかで、

刺々しいところが一切感じられない。

 

その見た目とのギャップに驚きつつ、

 

髭や髪の毛が短くて、

恰好も小ざっぱりしていたら、

弱いものを虐めたい願望を持つ輩に舐められて、

すぐさまやられてしまうんだろうな、

と心配になるほどだった。

 

 

そこで気がついたのである。

この人物は、

髭や髪の毛や大雑把な服装を使って、

周囲を牽制して、

己のやわらかい部分が侵されぬよう防御しているのだと。

 

 

それを踏まえると、

私の場合は逆で、

ナイフのようなキツ過ぎる性格を見て、

周りの誰も近寄って来ないことにならぬよう

やわらかさを感じるような防御膜で覆って、

言い方は悪いが、

相手が油断するような、

近づきやすい見た目に

なっているのではないかと思った。

 

 

随分と遠回りになってしまったが、

これが私が思う『見た目の秘密』である。

 

 

一概には言えないかもしれないが、

昔の強面の上司は、

実はとても懐深い温かい人だったというケースもあったりで、

 

 

「人は見た目で判断するもんじゃない!」

 

 

と思いつつも、

 

 

「見た目ゆえにわかることもある!」

 

 

そう思うのである。

 

 

 

数年前だろうか。

奈良市役所へ行って

期日前投票を終えた帰り道、

小型犬を連れたおばあさんに遭遇した。

 

近づいて来る両者。

見るともなしに目をやると、

小型犬とぱちりと目が合った。

 

 

「ワワワン!」

 

小型犬のけたたましい声に一瞬怯んだが、

威嚇のそれではなく、

友好のそれであろうことに気づいたのは、

おばあさんを引きづるように走り出したその顔が

とても楽しそうだったので。

 

 

小型犬は得意ではなかったが、

せっかくの好意。

 

気持ちに答えようと

腰を屈めて飛びついて来た小型犬の頭を撫でた。

 

 

おばあさんは至極穏やかに、

 

 

「すみませんねえ。あら嬉しいのねえ」

 

 

と言って微笑んでいた。

 

 

別段話すことは無かったが、

すぐに立ち上がり去るのも無粋であるので、

小型犬と目を合わせつつ頭を撫でながら、

 

 

「おいくつですか?」

 

 

と尋ねた。

 

 

体こそ小さく勢いはあるが、

目の周りや毛質からすると

子犬ではないなと推測されたゆえである。

 

 

すぐに答えが聞こえて来るかと思っていたが、

一向に返しがないので、

不思議に思い見上げると、

困惑の表情のおばあさんの顔があった。

 

 

まさか、である。

 

しかし、

そのまさかだったようで、

 

 

「え!? あ、犬ですよ」

 

 

と付け加えた途端、

おばあさんは相好を崩して、

 

 

「あ~。そうよね。あははは。この子よね!

 七歳ですよ」

 

 

と安堵の表情になった。

 

そんなおばあさんを見ながら、

 

「聞かねえよ! いきなり知らない人に年齢は!」

 

と心の中で突っ込んだことを、

期日前投票へ行った帰り道にはたびたび思い出す。

 

きっとまた二週間後辺り、

期日前投票へ行ったならば、

思い出してほっこりするのだろうな、ワタシ。

 

 

足の爪が伸びて気になっていた。

 

けれども今は真冬。寒い。とにかく寒い。

ゆえに風呂上りにはすぐさま靴下を履きたい。

 

湯でふやかされた状態だと

爪が切り易いのはわかっているのだが。

 

それでもどうして。

 

湯上り直後は、

芯から温まっているので

さほど寒さを感じないはずなのに、

そこはイメージか。

 

 

「おお! 寒い寒い!」

 

 

毎度大仰に呟きながら、

パジャマを着てすぐさま靴下を手に取り

素早く両の足を収める。

 

足に限らず、

収めたものを取り出すのは至難の業である。

だから。

中々足の爪に辿り着けない。

 

しかし、

そんなことを繰り返しているうちに

足の爪は確実に伸びて行く。

 

 

夏ではないので、

他者の目に触れることこそ少ないが、

靴下の先を伸ばし、

うっかりすると度々の押し上げの摩擦で破りかねない。

 

 

「そんな悲劇はもう御免!」

 

 

切りあぐねていた足の親指の爪先で

おろして間もなかった上等なストッキングの先を

見事にぶち破ってしまったことを都度思い出し、

 

ぎりぎり限界だろうところで、

そろそろと靴下を脱ぎ、

爪切りを手にパチリパチリと音をさせて

両足の爪を切るに至るのであるが、

結構な頻度で、

 

 

「やはり! まことに爽快!

 たかが爪、されど爪よのう!」

 

 

と平安貴族めいた言い回しの呟きが起こるのである。

加えて、

 

 

「この呟き!遥か昔、

 平安の世に生きていたことがあるのか!?

 十二単見るとワクワクするしなあ!」

 

 

などと思いながら、

十二単を着て内裏を悠々と歩く己を想像してニンマリする。

 

 

至極勝手な想像だなとは思うのだけれど、

実は以前、

前世が見えるという人に見て貰ったことがあり、

平安時代に生きていたこともあると言われて。

 

 

それでその気になっているのか、

それともそんな呟きばかり出て来るのもあって

気になり霊視してもらったのか、

若き日のことなので、

今となってはどちらが先か思い出せない。

 

 

ただ、今もなおしかと憶えているのは、

その『前世が見える人』に言われた、

 

 

「あ~、この時代も結婚せずに一人でしたね~」

 

 

という言葉。

 

 

「この時代も?!」

 

 

と聞き返したら、

 

 

「そうですね。江戸時代でも武士で生涯一人でしたし…」

 

 

と恐ろしい情報が追加されたのも未だ記憶に留まっている。