今年の冬至は

何十年に一度とか、

何百年に一度と言われる

特別なタイミングだったそうで。

 

 

いつもならば、

 

「ああ、冬至かあ! これから明るい時間が増えて行くんだなあ!」

 

ぐらいの感想のみで、

かぼちゃを食べたり

柚子風呂拵えたりはしたことはせずにいた。

 

 

我が家は、

おそらく父母二人とも

そういった伝統的なことに

近くない幼少期だったようで、

 

桃の節句や端午の節句に

人形を出したりはしたけれど

はまぐりのお吸い物を食べるとか、

草餅を食べるのは邪気払いのためだとか、

そういう細かなことの継承はなかった。

 

ゆえに幼い頃から

冬至の日の食卓に

かぼちゃが上ることもなく、

風呂に柚子が浮かんでもいなかったので

それらは「当たり前」の中に含まれていない。

 

 

とは言え、

つい先日、誕生日を迎え

半世紀から一歩踏み出したところであるので、

 

それだけ長く生きていれば

日本の伝統文化の詳細も

自然と耳や目に挟まって来そうなものだが、

 

 

それがどうして。

人間とは勝手なもので、

興味があるものには意識が行くが、

そうでないものには、

目の前を通ったとて気づかないもの。

 

 

そんなこんなで

冬至のかぼちゃや柚子は

私のこれまでの人生においては

重要キャラとして登場して来なかった。

 

 

それなのに今年は

何故か周りから

冬至についてのあれこれが届いて来ていた。

 

その最たるものが友人から知らされた

YouTuberさとうみつろうの「冬至への誘い」

とも言い換えられるような動画で、

 

せっかくだからと

生中継のピアノで奏でられるカノンを聞きつつ

冬至点を目指して瞑想もしてみた。

 

 

「生まれ変わるかのような劇的変化が起こるのか?!」

 

と期待していたが、

瞑想中にだらだらと流れ落ちた涙で

浄化されたようで

ひどくくたびれてその夜は早々に寝てしまった。

 

 

朝起きて鏡を見ても変化なし。

さらに一日経って今日である。

鏡の中には見知った顔。

 

「うんうん。そりゃそうですよ。

 そんなに簡単に変身したりはしないですよ」

 

頷きながら、

パジャマを抜いで

服を着替えて後、

 

「んっ?」

 

不意に声が出た。

 

ここ最近太ってしまって

きつくなっていたズボンのウエストが

ゆるくなっていた。

 

 

「ええええええ~!?」

 

他に言いようがなく

驚きの声を上げながら

今一度ズボンのウエスト部分を引っ張ってみたが、

やっぱりゆるい。

 

 

「おおおおおお~!!」

 

あまりの嬉しさに

ひとり拳を突き上げ呻いていた。

 

 

「冬至でダイエット!」

 

真相はわからないが

とりあえず冬至で痩せたってことにしておきます。

 

 

 

世の中にはいろいろな人がいるが、

 

<映画を観る人=知的・ユーモアがある>

 

と思っている男子に時々遭遇する。

 

 

 

もう良き齢になっているゆえ、

最近では合同コンパへ行くことも、

結婚式へ呼ばれることもないので、

この手の男子に出会うことはあまりない。

 

 

 

それでも一人で飲みに出かけると、

カウンターで隣り合わせた人と話すこともあり、

そんな折、

 

 

「オレ映画好きでかなり観に行くんすよ!」

 

 

などと若き男子が嬉しそうに話すのを聞く。

 

邪気少なく相手に可愛げを感じたならば、

 

 

「おお! そうか! そうか!」

 

 

と素直に聞いて、

どんなジャンルの映画なのか、

行く頻度はどれくらいかなど、

優しく尋ね返す。

 

 

しかし。

同じような内容でも、

 

 

「いかにも自分は世の中のことをわかっていて、

 映画なんぞを観るインテリである」

 

 

みたいなことをアピールしつつ

マウントを取ろうとしていることを

感じさせるような輩であれば、

 

聞いてやることもなかろうと、

自ずと対応も変わって来る。

 

 

それでも、

映画好きとまでは言えないが、

それなりに映画は観るようにしている私であるので、

 

<映画好き>と自称する人々が

どんな系統の映画が好きなのか気になるところではある。

ゆえに、

若干の苦みを含ませながらではあるが、

 

 

「へえええぇ! 映画好きなんですか~!」

 

「どれくらいの頻度で観に行きます~!?」

 

 

と軽くジャブを打つ。

 

さらに間髪入れずに、

 

 

「あっ! 一番最近観た映画は何ですか?」

 

 

と笑顔でもう一発。

 

 

 

相手は、

 

 

「それ来たか!」

 

と言わんばかりの顔をして、

時に、

 

 

「参ったなあ!」

 

みたいな表情の変化も付け加えたりして、

悠然と答える。

 

そしてその答えを聞いた私は、

十中八九返答に困り、

 

 

「ふううぅ~ん!」

 

 

と精一杯の明るさを醸して高い音の相槌を打つ。

 

 

ほとんどの場合は、

この後、最近観た映画について語り始めるのだが、

たまに、

 

 

「で、君は?」

 

 

と聞き返して来る奴がいる。

 

 

映画の好みが近いならばある程度の興味を持って答えるのだが、

そうでない場合が最悪で、

何なら話し方など相手に対して、

益々嫌気が差している際には、

つい大人げなく全力でやり返してしまう。

 

 

そもそも映画好きをアピールして来るような奴に、

足繁く映画館へ通っている人物は少ない。

 

 

映像・映画関係者ならば、

映画館へも行くだろうし、

行かずともVODなどの配信サービスで

あまたの映画を観ているだろう。

だが、そんな人々はわざわざアピールして来ない。

 

 

自称映画好きの

映画を観ているということの

価値について例えるならば。

 

 

高価な腕時計を

高価だという価値にのみ重きを置いて

見せびらかす感覚に近いだろうか。

 

 

そういう奴が嫌いである。

 

 

そんなはっきり言ってはいけないか。

 

 

 

昨晩、その手のマウント取りたがりイケイケおじさんに遭遇して、

久しぶりにイラっとセンサーが発動しかけたもんで

「ううっ!」と呻く気持ちでこんな文章書いてます。

 

 

 

基。

 

でも、言わせてください。

 

私は映画好きではないけれど、

「最近映画結構観に行ってるなあ!」

と思う時の映画館へ行く頻度は、

週にニ~三回。

 

 

尋ねられて、

「たまに観に行きますね」

と答える時の頻度はニ週間に一回。

 

 

東京に住んでいた時はそんな感じでした。

奈良に来てからは近くに映画館が無いので

もっぱらVODで見るばかりですが。

 

 

 

「半年に一回は観に行きますよ~!」

 

 

嬉しそうに答える若者を見守る私の顔は、

菩薩のようなアルカイックスマイルに近い様相に違いない。

 

 

「お~! それな!「あんまり行ってないなあ!」の範疇ね!」

 

とは言わず微笑んでいる。

 

 

でも。

 

「「半年に一回というのは、どう見積もっても

 「よく観に行く」とはならんのじゃないかねえ!」

 と言ってあげるのも親切だろうか!?」

 

 

と小さく葛藤している心優しき善良な私である。

 

ここ最近、家にいる時間が長い。

 

図らずも、と言いたいところだが、

つまるところすることがなく、

 

いや、本当はすることすべきことは五万とあるのに、

それらに締め切りが無いのをいいことに

暇にかまけている次第である。

 

「暇になったらやろう!」

 

と忙しい時分はそう思うのだけれど、

いざ暇になってみると、

 

「いつでもできるし。今度にしよう」

 

と後回しにし続ける。

 

「今度っていつ?」

 

と耳元で囁くもう一人の私の言葉を聞くはずもなく、

アライグマのごとく何回も洗濯機を回したり、

ゴロゴロ寝そべってみたり

テレビの再放送を見たり

急いでやらなくてもいいことばかりにかまけている。

 

 

急いでいなくとも、

やらずにいなくとも良いことをやっているだけマシで、

たいがいは朝寝坊。

 

もちろん仕事がある時は

必死のパッチで起き上がり

体が斜めになりながらも支度をするが、

 

何もない日は目覚ましもかけなければ

幾度目が覚めてもその都度寝直す。

 

 

しかし、ある時から流石に起きたほうがいいだろう、

と思われる時間になると、

窓外から鳥の鳴き声が聞こえるようになった。

 

 

最初は二羽だった。

 

あまりの勢いに何事かと半身を起こし、

カーテンと窓を開けて存在を確認したところ、

お向かいの家の屋根についているアンテナに

ヒヨドリが二羽、距離を保って止まっているのが見えた。

 

 

一羽が鳴くと、

もう一羽が返事をするかのごとく鳴いて、

それを受けてまた鳴いて、

というのを繰り返していた。

 

 

「チチチチチ」

 

暇なので参加してみたら、

不信感丸出しの二羽が

すぐさま声を出すのを止めて

辺りを見回し始めた。

 

 

しばらくの間、

声とリズムを真似して鳴いていたら、

仲間と思ったようで

再度一羽が鳴き、

さらにもう一羽も鳴き、

何となく会話している体になっていた。

 

そのうちあまりにも姿を見せぬ声の主に

疑問および恐怖を頂いたようで、

二羽はそれぞれのタイミングで飛び立って行った。

 

 

置いてけぼりにされた私は

寂寥感に見舞われることはなく、

ヒヨドリ達と

熱い討論を交わしたかのような

妙な達成感に包まれて再びベッドに入ったのだった。

 

 

 

この出会い以降、

毎日ではないものの、

起きたほうがいい頃合いに

鳥の鳴き声が聞こえるようになった。

 

 

無視して寝倒そうと思うのだが、

あまりのけたたましさに、

 

「仕様がねえなあ!」

 

江戸っ子口調で呟きながら

体を起こし、窓の外へ顔を出し、

鳴き囀っているヒヨドリへ向かって

同じタイミングで鳴いてやると、

 

「おっ! アンタ、ようやく起きたかい?!」

 

といった調子で鳴き返して来るのがどうにも心地いい。

 

 

 

朝を告げる鳥と言えば、

ニワトリと相場は決まっているが、

 

「我が家ではヒヨドリなんだぜえ!」

 

聞かれていないけれど

大きな声で言いたくなるほど、

目覚まし鳥の朝の訪問が嬉しいことこの上ない。