仕事で新しく入ってきた人には、
まずやり方を教えますよね。
今まで働いてきた中で、「こういうときは、これがコツ」と教えてもらった記憶がほとんどありません。
新人は、まずは覚えることが多い、肉体的にに体が慣れていない、動作の順番に慣れていないので、時間には間に合いません。
まず、「コツ」を教えないと、相当疲れます。
私は、初めての仕事のとき、「どうしたら速くなるかな?」というコツを試行錯誤して、いくつも考えます。
ベテランの人は、もう慣れているので、体でコツを覚えているのです。
だから、なかなか教えることに言語化できます。
「これをこうやるのです」と、見せて教えるだけになってしまいます。
私は仕事をするとき、一動作、一歩、角度、足の重心、方向など考えます。
そこに、しんどさが加わる場合は、その動作をしません。
無理な体勢ではない方法で、いちばん速いやり方を考えます。
速くても、しんどければ、何回もできません。
仕事は、基本的には、「めちゃくちゃしんどい」の連続はありえません。
「8時間ずっとめちゃくちゃしんどかった」は、仕事の割り振りがあっていませんし、やり方が間違っています。
しんどいときは、誰かが休んだり、人件費を節約するために、人を減らしているだけです。
3人でも間に合わないのに、1人休んで、その作業を1週間もやっていないのに、やらされたことがありました。
さらに、その時間の中で、やることが重なることがあり、これはさすがに間に合いませんでした。
1つの作業をやっていて、2つの場所から同時に「これをやってくれ」と言われるのです。
1人では不可能です。
レジの会計をしながら、注文を取りに行くようなものです。
話がズレましたが、私が仕事を教わって、いくつものコツが出てきました。
「これを教えてくれよ」と思いました。
でも、慣れてくると、コツというより、やることがわかっている、次の動作がわかっている、異常への対応がわかっている、ということが大きいです。
ですので、聞いたとしても、コツがわかりません。
「ブラインドタッチのコツを教えてください」と聞かれても、「練習あるのみ」と答えると思います。
あえて言うなら、スタートのポジションくらいでしょうか。
私自身、ブラインドタッチができるようになったのは、好きな文章を打ち込んだり、ミクシィで日記を書き続けて、いつの間にか出来るようになっていました。
仕事の中の「作業」は、徹底的に楽にする方がいいです。
売上や、お客さんの対応・クレーム、品質などは大変ですが、事務的な作業はしんどくする必要はありません。
重たいものは台車などを使って運べばいいですし、無理な体勢はする必要はないのです。
これも、「コツ」のひとつですね。
スーパーのレジ作業も、ずっと立ってする必要はないと思っています。
(スーパーサンディでは、椅子が用意されていますね😊)
「若いときの苦労は買ってでもせよ」という言葉があります。
では、若いときから順風満帆で成功していたらダメなのか?というとそうではありません。
ただし、若いときにお金持ちになれば、
それが当たり前になります。
そして、現状からマイナスになったとき、人は不幸だと思いやすいです。
例えば、月収100万円から月収50万円になったAさんと、月収20万円から月収25万円になったBさんでは、金額ではAさんの方が上です。でも、幸せだと感じるのは、Bさんでしょう。
もちろん、「それでも50万円もあるからありがたい」と思える人なら、十分幸せを感じることができます。
若い頃からうまくいっていていいな、と思える人は、その10年前から始めています。
生まれ持った才能もあるかもしれませんが、
本人が気づかないうちに、物の見方が作られていることもあります。
私自身、子どもの頃を振り返ってみると、小1のときに、効率を考えていました。
何かのときにボウリングの遊びがありました。
ピンが10本中何本倒れたかを数える係をやっていました。
1から5本倒れたら、倒れた本数を数えます。
6本以上倒れたとき、最初は倒れた本数を数えていました。
でも、途中で、「多く倒れたときは、残っている本数を数えた方が早い」と思いました。
8本数えるのと、残っている2本を数えて(見て)10から引いた方が、断然早いのです。
大人であれば当たり前ですが、小1のときにそれをやっていた記憶があります。
人間は、少しの浮き沈みがありつつも、
徐々に上がっていくことがいちばん幸せなことです。
ただ、そんなにうまくいきません。
どん底になることもあり、絶頂になることもあります。
ですので、仕事でもなんでも、最初からうまくいかせようと思わないことです。
また、うまくいっても、謙虚になることです。
最初にうまくいって、謙虚さを失ったり、練習をしなくなると、うまくいかなくなります。
3年連続3冠を達成した能代工業の田臥選手は、当時の優勝した試合終了後のインタビューで、「あしたからまた練習します」と言っていました。
もう次を見据えていたのです。
スマホがあると、何でも知っているような気になれます。
何でも調べることができます。
その中で、20代ですでに、
「私は何でも知っているし、できる」という人を見かけることがあります。
私自身、20代でそう思っていました。
でも、まだまだだと感じています。
考え方を凝り固まらせず、素直に柔軟な考え方を持っていくことが大事だと思いました。
思い出の曲を聴いて
なつかしさに浸る
進んでいった所有物と
相変わらずな僕
まるでそのときに戻ったみたいに
心がざわめくけれど
周りを見渡せばたしかに違う風景
失ったものより 得たものを
頭の中で 数えていく
たくさんの荷物は
小さい自分を大きく見せた
人には映らない 自己満足
無駄を削り落とし いまだ残るもの
大切なものに やっと気づいた
耳を澄まして 本音をさぐれ
答えはきっと 底にあるから
負けないように 準備を万全に
見切り発車は お手の物
感情のままに 好きを極める
親友の声が 常にある
過ごしてきた時間と これから過ごす時間
同じくらいの時間で 一発逆転を狙う
満足しない心を 動き続けて満たしていく
比べるのはもうやめな
結局は比べられないのだから
長ければ長いほど
比べる価値はなくなっていく
幸せという抽象的な概念
誰が証明できるだろう
耳を澄まして 本音をさぐれ
答えはきっと 底にあるから
大勢の人が経験していることを経験し
大勢の人が経験していないことを経験する
負け惜しみでも 信じ続けていく
楽は後回しにして
やってきた苦労をつぶしていく
大きなリターンは 自分にしかわからない証明
他人の価値観には 惑わされない強さを持て
耳を澄まして 本音をさぐれ
答えはきっと そこにあるから
作詞 望月としあき
作曲 AI suno を使用
速くなりすぎる仕事術は、
仕事以外のことでも使うことができます。
例えば、勉強、スポーツ、家事、準備支度などです。
例えば、朝に6時に起きる予定が6時半に起きてしまったとします。
家を出るのが7時だとすると、いつもより30分少ないです。
普通であれば、急いで動作を速くしてバタバタしなければなりません。
でも、方法を知っていれば、
法則を使いながら「どうやったら速くできるかな」と考えながらするので、時間が余るようになります。
動作を速くすると、忘れものをしたり、物を落としたり、足をぶつけたりします。
イライラしながら家を出て、さらに焦ることになります。
電車やバスを使っている人なら、
その速度は変わりませんから、駅の構内や階段を急ぐことになります。
焦ると、何事もうまくいきません。
事故が起こることもあります。
そうしないためにも、「速くなりすぎる仕事術」の法則を覚えておいて、どんなところでも使えるようにしたいものです。
ほとんどの人がやっていない!?
速くなりすぎる仕事術の8つの原則。
👇👇👇👇👇👇👇👇👇👇👇👇👇👇👇👇👇
仕事ができる人は、
ひとつの側面だけ見て判断することはありません。
一見、間違っているようなことでも、
全体を見れば、それが正解のことがあるのです。
例えば、スーパーの3台のレジで、行列ができているとします。
そこで、1人店員さんの応援が来るとします。
そのとき、仕事ができる人は、
いちばんお客さんが多いところに応援にいくでしょうか?
それとも、いちばん遅くなりそうなところにいくでしょうか?
それは、お客さんの数ではなく、
買い物カゴの中身によります。
(他にも、多くの種類の小さい商品が多くあるというなどの要素もありますが)
お客さんが多くても、商品が数個であれば、そのレジは速く進みます。
そこに応援しに行っても意味がないのです。
さらに、列に並びそうな人を予想したり、急いでいそうな人、イライラしている人を判断したりします。
全体を見ることに慣れている人は、
人に注意することが少ないです。
ほとんどの人は、仕事を考えながらやっています。
すべての作業に、正しい間違いはあれど、
その人なりの考えがあるのです。
自分が常に正しいと思っている人は、
人に考えを押し付けます。
それが仕事を遅くしたり、
周りの人をイライラさせるのです。
自分で考えながらやっていると、
いちいち、わかっていることを指示してくる人がいます。
その話をいちいち聞かなければならないので、作業が遅くなってしまいます。
人のことを見ているようで、
人のことが全く見えていないのです。
また、そういう人は、自分のことも見えていないので、
何であの人はあれをしているんだろう・していないんだろう」
と多くの人に思われています。
優先順位を間違えることもあります。
今それをするより、重要なことをしなければならないのに、
「それやっといて」と言われるのです。
サイコロのように、ひとつの側面「1」だけを見て、あとの「2~6」はないものだと思わないことです。
人の思考でも、ひとつの側面だけで決めつけないことです。
その裏側には、かならず1個以上の理由があるのです。