岡本ガーデン(旧宮地邸跡分譲地)のパンフレット | まちづくりBlog

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発行:本山北町まちづくり協議会/編集:広報部会

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本山北町4丁目の藤原さんから、今お住まいの岡本ガーデン分譲当時のパンフレットを投稿いただきました。

「岡本ガーデン」??

本山北町に住んでいてもほとんどの方がご存じないのではないかと思います。

ちょうど神戸薬科大学南隣の中野八幡神社の南側から西側にかけては、昭和40年代半ばまで宮地民之助氏(宮地汽船:現宮地サルベージ創業者)の邸宅がありました。

岡本ガーデンのパンフレットには、かつての豪壮な邸宅の写真がメインに宮地氏の軌跡も載せられており、見ごたえがあります。

まずは、ご覧ください。

 

1ページ目

 

2ページ目

 

3ページ目

 

4ページ目

 

5ページ目

 

6ページ目

 

7ページ目

 

宮地邸は正面玄関がオープンだったそうで、生まれが昭和30年代半ばまでの方は、「誰しもセミ取りや散策で入ったわ」と聞きます。

当ブログファンの皆様なら、3ページ目の正面玄関の写真を見て、もうお気づきでしょうか?

そうです!

以前に紹介しました、本山第三部中野消防組の写真が思い浮かばなかったでしょうか?

 

写真1

 

いや、でも門柱とか石垣の位置がちと違うのでは?と感じたかもしれませんね!

写真1は、以前に昭和7年~13年頃としていましたが、宮地氏は、稲畑二郎氏(稲畑産業会長 昭和11年に芦屋市平田町に)から昭和12頃にに購入しており、それ以前の写真であることに気づきました。おそらく11年以前となります。

両サイドの石垣が外され、植え込みが広くなり、また門柱も奥に移動し大きくなっています。

下の写真は同じ場所の昭和34年の写真となります。

 

写真2 (中野 保久良神社例大祭 神輿舁き番)

 

消防車と同じく、お神輿でも記念撮影です。

やはり、中野にあってはシンボル的な場所だったんですね!

消防組の写真から25年ほど経っているので、石垣のカイズカも育っています。

松の形は、ページ2とまさに同じです。この前(東側)に大きな車庫もありました。

 

奥に移っている和風建築物は、宮地氏が建て替えた昭和13年築で、平成の終わりも健在しています。

岡本ガーデンの中では一番大きな敷地に建物付きで、昭和47年に丸辰商会さんが購入されたそうです。分譲地の一番最後の物件になっていたとの事でした。

立派な日本家屋で、小学生の頃にお誕生会かなにかでお邪魔した記憶があります。

 

さて、では現在の写真です。

 

写真3

 

写真4(中野八幡神社 御祷講祭り お弓 喜多文庫の写真の現在H.30)

 

写真5(中野八幡神社への上り口にもかつての石垣の名残が少しあります)

 

岡本ガーデンのパンフレットの内容からすると、残してほしかったです。

高度成長期でなく平成の世であったならば、苦楽園の「はり半」の門や、六麓荘テニスクラブのエントランスや橋の様に、少しでも面影を残せたのかもしれません。残念です。

しかし昔の黒い石垣が残されていますし、なんといっても橋の南側1/5ほども大正期からの姿を残しています。

 

写真6

 

写真7

 

中野谷川にかかるこの小さな橋の、この意匠は只者ではない! 100年近くもこの地域を見てきたかと思ったら、思わず写真を撮ってナデナデしてしまいました。

 

さて、岡本分譲地の中に、「岡本の洋館」が記載されていません。

岡本の洋館は稲畑氏が大正11年に建て、昭和12年頃よりは、宮地汽船の迎賓館として使われていました。

宮地邸から分譲地化の計画が進んでいた時に、お屋敷の景観と洋館を守りたいと思われた塩野氏が購入されたそうです。

阪神大震災以降は、ご不在で管理されています。

昨年(平成30年)に神戸市指定文化財となり、今春から内装等の改修工事が始まるそうです。昨年の台風でお屋敷の大木が倒れたり、洋館に倒れ掛かっています。崖も一部崩れたり、維持管理で大変心痛めておられます。

何とか、地域や行政も一緒になって、「岡本の洋館」の有効活用や保全のお手伝いが出来ないものか、こちらも広く情報をあげていかなくてはと思う今日この頃です!

 

藤原さん情報ありがとうございました。

 

投稿は、まちなみ部会 三宅でした。

 

※ちなみに、稲畑氏の平田町の洋館も、「兵庫の近代住宅100選」に選ばれている名建築です。