アシュタンガヨガを初めて体験した時

先輩方の驚くようなアサナ(ポーズ)や

放っているオーラに圧倒されました。

 

 

当時既に32歳だった私は練習を始めた

もののなかなか上達することはなく、毎日

先輩方に驚くような身体能力をまざまざと

見せつけられていました。

 

 

しかし不思議と負けず嫌いだったはずの私が

先輩方の才能が凄ければ凄いほど気分良く

練習中は悔しいけれど、劣等感は抱かず

ポジティブに彼らと向き合えたのです。

 

 

自分でも当初は何故だろう?と思っていました

が、練習を積み重ねるうちに彼らは天才では

なく秀才だったからという事に気付きました。

 

 

秀才とは後天的に得られたもの、すなわち

自らの努力と行動によって得た才能。

天才はもとより備わっている先天的な才能

を指します。

 

 

アシュタンガヨガはシークエンス(流れ)が

決まっており立位、座位、後屈等々一つの

シリーズでも様々なアサナをとります。

 

 

そうなると必ずどこかで自分の苦手なアサナ

と向き合い努力することになるのです。

(苦手なので中々努力が報われることはなく

本当に長い間努力が求められます。)

 

 

この努力の積み重ねが心身の調和に繋がり

たとえ秀でた人になっても、他者に劣等感を抱

かせることなく、周囲と調和した人を形成

していくことを知ったのです。

 

 

アシュタンガヨガがある特定のアサナに特化

した能力を発揮することを求めるのではなく

オールマイティな力を発揮することを求める

のはこの点が考慮されているのでは

ないかと感じています。

 

 

また加えてもう一点挙げるとすれば

アシュタンガヨガの練習スタイル

(マイソール)が関係している気がします。

 

 

マイソールでの練習はシャラ(練習場)と

いう共通空間に先生や他の生徒がいても

練習自体は基本的に一人で行います。

 

 

今コロナの影響でシャラではなく、自宅で練習

していますが、孤独感を感じることはなく

むしろ以前より仲間を想えています。

 

 

これはマイソールでの練習が常に

自分との闘いだからではないかと思うのです。

マイソールでの練習は孤独です。

誰かに促されれて一緒にやるわけではない。

 

 

しかしこの自分との闘いが劣等感を破壊させ

他者を想う心、仲間意識を育むことになる。

やはりアシュタンガヨガはとても魅力的です。