ムーンデイ(満月の日)はアシュタンギは

練習を休む。

コロナが報道される前、ムーンデイに

昔から馴染にしている蕎麦屋に行った。

 

 

お天道様が明るいうちに

「すいません昼間っから。」

と言いながら蕎麦がきと天ぷらを

つまみにお酒を呑み

 

 

「皆頑張って働いてるねぇ。」

と外を眺めながらお酒を呑む。

 

この背徳感と優越感。

二つの思いを背負いながら呑む

のが昼呑みの醍醐味です。

 

 

何故心地良いのだろう?と考えると

一つはお昼からお酒を呑むのは非日常

の世界だからではないか。

 

 

人が働いている時間に呑んでいるという

背徳感を持ちながらこそこそ飲む。

 

「すいません。」という気持ちがあるから

こそ昼間のお酒は夜よりも旨いのです。

 

 

さらに蕎麦屋(お店)に行って呑むという

事も大事な要素。

 

 

ただ家でお昼からお酒に酔うのではなく

一緒に行った人達との会話。店の人との会話。

あるいわそこで偶然出会った見ず知らずの人

とのくだらない会話。

 

 

私がお店(私の場合蕎麦屋)に行くのは

お店の空間とこのプラスアルファ(会話)

を求めているからです。

 

 

お酒そのものよりも

空間が好きで、人と話すことが好きで

お酒を呑みに行く。

 

 

人に傷付けられながらも

人に癒しを求め癒されるのです。

 

 

そこに昼呑みは若干の罪悪感と同時に

悦楽の時間を噛みしめられる

から心地良いのだろう。

 

 

しかしここで忘れてはならないのは

アシュタンギが普段練習を継続する

ことをとても重要視していることだ。

 

 

それも定められた通り定められたことをする。

ある意味この規制という不自由さがある

からこそ休日の楽しみ(自由)を感じることが

出来るのだろう。

 

 

そう思うとまた明日からの練習が楽しみ

に感じ、シャラで仲間と共に練習したい。

出会えた縁を大事にしたいと思うのです。