文章には書けません。


是非是非

生の舞台をご覧頂きたい。



前半は

手を掻く、お尻を掻く、蚤を食べる、

背中を地にこするゴロンゴロン、

でんぐり返し

など、猿の生態をまねた所作をします。


やること。型。

というのは全て決まりごと

小さいながらに

同じことが続かないように

大人の台詞を聞きながら

間を計って

繰り返すものです。



後半は猿引きの謡う

猿唄に合わせ舞い納めます。


45分。面をつけての舞台。

初舞台では他の芸能と比べても

「厳しい」といわれます。



ただ、自分の初舞台を思い出すと

・・・・あまり記憶はありません。



稽古の記憶のほうが残っています。


「どこで間違った。」とか、

「ここでよく直された。」とか

その頃の普段の生活の記憶はあまり残っていないのに・・・。


衝撃的だったのだと思います。



先代・父は本当に厳しかった。

子どもであっても、立つのは

「プロの舞台」

甘えなどは一切ありませんでした。

マシテ、一生をかけて積み上げていく道の

第一歩。

土台となるわけです。

本番の記憶は・・・



東京での披露では

父は後見でした。


後見(こうけん・舞台後方に紋付で座っている)がいる方に自分の顔が向く所作の時に見えた父の顔・・・

稽古の時は

あんなに怖くてしょうがなかった父の顔が

本番の時は

とてつもない安心感を与えてくれました。


名古屋公演では

大名を父が勤めてくれました。

一ヵ所だけ

大名と目を合わせるところがあるのですが

その時も

同じ気持ちでした。


それ位は覚えています。





今回の息子の初舞台は

親子孫3代の舞台での上演はできません。


早かった・・・死ぬのが・・・・。




僕たち兄弟の時には

9世三宅藤九郎が「猿曳き(さるひき)」を勤めてくれました。



娘の時も姪っ子の時も

そして今回、

息子の初舞台でも

僕が「猿曳き」を。


後見や大名よりも

目が合う事が多い役です。



前回に書いた面からの視野。

小猿にしてみたら

目の前にいる人しか目が合いません。

後は感じるのみです。



周りにいる人間も同じくそうです。



ただ、顔が見えなくとも

目が合わなくとも


今どんな顔…

今どんな気持ち・・・


感じます。(ているつもりです。)



猿曳きは
小猿の腰に付けたひもを引く・・・・


「これでつながっているから、

心配はいらない。

先生(舞台にかかわった時はそう表現します。区別です。)

が握っているのだから。」


と、どの子にも言って送り出しました。


そして、

自分にも言い聞かせ。






舞台上で

目が合う時


その面の奥に見える

大きな光った眼といったら・・・・・



・・・・・



これが表現できるなら




僕は物書きになっているかもしれない!!







目は口ほどにものをいう。


口と耳でするのだけが会話じゃない。

それを感じさせられます。


ことに、小猿に手討ちになることを諭す場面では

師弟関係に重なるような言葉が紡がれています。



そう、

小猿と猿曳きは

「小さい時より育て上げて

共に生涯を送っている」関係なのです。






・・・・・

書けば話は尽きませんが


見所(みどころ)

演じどころの多い

ドラマチックな演目なのです。





最後にしときますが


舞台のとき

父なのか?師匠なのか?


と聞かれることが多いので

おこたえを





稽古の時から

舞台にかかわったらば

身も心も見る目も


師匠です。



ただ一瞬、







幕から送り出すとき





「無事に帰ってきてくれ!」





と、思った時は







師匠であったか父であったか定かじゃありません。

(でも、元聖の背中は

不思議な安心感があったりしました。

う~ん。顔が父に似ているからかな??

ち、違うか!!)




舞台写真はここでは公開できません。


ので、


当日、生で見てくれた

小さいお客様が

その感動を伝えるためにかいてくれた




絵を送ってくださいました。




今回はその絵を公開して

〆。








元彌のアスナロぶろぐ

(8歳の女の子)








元彌のアスナロぶろぐ
(6歳の男の子)



ありがとうございました。




是非多くお方に

生の舞台の感動をお届けしたいと思っております。






初舞台から見ていただけることは

演者にとって

大いなる励みになります。


どうぞ、皆様小さな狂言師の誕生を

そして、成長を見守ってやってください。