ところで、前回のブログに書いた数少ない夫の『婿入り道具』である書類関係が入った段ボールを整理していたところ、下の方から何故かアイスの袋が出て来ました。
『あいすまんじゅう』と描かれたその包装紙は、きれいに洗われていて、そして他の書類に押し潰されて押し花のようにペチャンコになっていました。
なんでこんなものがここから出て来るんだ…。
私「な、なんですか、これ」
夫「あー、それは…。母と最後に一緒に食べたアイスの袋ですね…」
↑
(ちょっと恥ずかしそう)
………
夫の母が病床に伏せっていた頃、夫は20代で既に東京にいました。
亡くなる前に山口までお見舞いに行った時に、母から
「アイスが食べたい」
と言われたそうです。
この頃は既に殆ど何も食べられなくなっていた夫の母が、この日は珍しく
「アイスが食べたい」
と言ったことがとても嬉しくて、夫は病院の売店でこの『あいすまんじゅう』を日2本を買って来て、一緒に1本ずつ食べたのだそうです。
そういう事情を知らない私からすると、ただのゴミに見えましたが、確かにそれだとするとこのアイスの袋は形見に近いもので、大切にとっておいたのも理解出来ました。
私ももしも大人になってから、親と一緒に「子供のおやつ」のようなアイスを食べるとしたら、非日常感があってとてもワクワクすると思います。
大人の現実に疲弊している今、無邪気に母親に甘えていた子供の頃、親もまだ若く今の自分よりもずっと年下で、どこか子供の気持ちを残していた頃に一緒に戻っておやつを食べたら、なんとなく《共犯者》のような密やかな楽しさがあるはずです。
そ親とお酒の酌み交わすよりももっと、特別な感じがするかも知れません。
それに夫は高校1年の時に、母親が必死で止めたにも関わらず、学校を中退し単身上京してしまいました。
中卒の17歳の少年が東京で一人で自活するのは、丸腰で戦場に行くようなものです。
アルバイトだって18歳以上のところが殆どだから、実際に上京後の生活はとても大変だったそうです。
お母さんはそれをずっととても心配していて、「山口に帰っておいで」と言い続けていたそうですが、その後も夫は郷里に戻ることはありませんでした。
そんなに心配を掛け続けた母親との残り少ない時間の中で、アイスを一緒に食べたことは、それまでの親不孝が少し薄められていくような感覚があったのではないかと思います。
………
そんな大切な思い出が詰まったアイスの袋を、きれいにして取っておき、数少ない婿入り道具のひとつとして私の家に持って来たことは、なんだかとても夫らしいな、と思いました。
夫は私との生活でも、なんでも大事に取っておく癖があります。
私から送ったプレゼントの包装紙や箱を取っておくのは当たり前で、一緒に出掛けた時のレシートまで、私が捨てようとすると大騒ぎします。
一方で私は何でも捨ててしまいます。
保管しておく空間が勿体ないからです。
だから私の家は、一人暮らししていた時は、かなりガラーンとしていました。
私がそういう【(夫からすると)思い出の品】の何かを捨てると、夫が毎回大騒ぎしてゴミ箱を漁り救出するので、家の中に
『思い出ボックス』
を設置しました。
『思い出ボックス』には、一緒に観に行った映画の半券や観光地のパンフレット、海外旅行をした時に空港で入った海外保険の証書、私が買った夫の破れた靴下などなど、側から見たらゴミにしか見えないものがたくさん入っています。
自分だったら確実に捨てているものが部屋の片隅にあるのをふと見るにつけ、
「結婚というのは、他人の価値観を自分の人生に取り入れることなんだなぁ」
としみじみ思います。