慈悲の瞑想のフルバージョンでは

 

「私の嫌いな生命が幸せでありますよに」と念じるところがある。

実際に嫌いな人間や、くそ忌々しい人間を、思い浮かべて、

幸せでありますようにと念じる、きつい瞑想である。

 

その気持ち悪さや、違和感などの心の不安定が消滅するまで

念じることにより心を観察する。

 

瞑想は煩悩を相手にした、いわば戦いであり、

心の安定を獲得すれば勝利、不安定は敗北、

瞑想中、悪業が積載されるかどうかは、その勝敗依存

 

この例では、敵は、慈悲の瞑想の時に出てくる、、瞋(しん)、を相手に戦う例

これが貪欲だったとしても戦い方は同じ、

これは、リアルライフで出来るようにしたいところ。

実際的には、放っておくことで自然消滅する。観察していなければ

消滅したところを確認できない、消滅の確認をもってして実際的に勝利

武道の残心とよく似ている。

 

貪欲はけっこう強敵であり、これができるようになると、欲の先走りによる
見落としなどを抑止することができるようになってくる。
日本人は戦後占領政策によって瞋(しん)が抑制され、牙を抜かれた肉食獣のようになっており、その分瞋が貪欲に置き換えられている、瞋を抑えるための目的で貪欲に置き換えている。