こんにちは、再婚コンサルタント🌟のままりかです。

 

 

 

今回は、私自身についてちょっとお話ししましょう。

 

 

私は、50代半ばにして再婚を果たし、新たな人生を歩んでいます。

 

私の再婚は運命の出会い(婚活マッチングアプリでですけどねてへぺろ)によって実現し、

 

 

今では、自分自身の経験を活かし、再婚を遂げたい人々の背中を押し

 

再婚を叶えるお手伝いをしています。

 

 

私もかつて、いま離婚を考えておられる皆さんと

 

同じような状況に立たされていました。

 

 

 

11年前、私は離婚を決断しました。

 

それは決して簡単な決断ではありませんでした。

 

しかし、私の心身を守るためには、この道を選ぶしかなかったと

 

今になっては、思います。

いま50代半ばの私ですが、40代半ばで離婚しました。

 

生まれは東京の下町でしたが、結婚を機に地方へ移住、

 

田舎地域に住んでいました。

 

 

そして、当時、舅姑と子供たちと3世代同居していましたが、

 

旦那は無関心で今でいうモラハラをしてくる人でした。

 

教師をしていた義両親、嫁の私は下町の町工場の長女。

 

主人は国家公務員でした。

 

環境が色々とお互いに違いすぎて、

 

作られた価値観もこうも違うものかと思っていました。

 

 

いつも私の家事運営と、子育てに対して口を出してきました。

 

留守の間に私の部屋に入り、掃除や片づけをし、ごみの中身も見られ

 

着る洋服のこともチェックされました。

 

よき嫁としてふるまおうとしていましたが、うまくいきませんでした。

 

 

 

気づくと主人も義両親の側となり、

 

気づくと、中庸な立場の子どもたち以外、

 

家の中では完全に孤立していました。

 

 

結婚して18年の歳月を過ごしていましたが、

 

私の心身は病み始めていました。

 

家から離れたバイト先では唯一、心からリラックスすることができました。 

 

 

帰宅すると、すぐに二階の自室に戻り、

 

隠していたお酒を呑んで、気分を高め、何食わぬ顔で家事に戻っていました。

 

 

やがて、お酒でも紛らわせることができなくなり、

 

バイトの帰り道、車を走らせながら、渓谷から谷底へとハンドルを

 

切りかけたことがよくありました。 

 

でも死にきれなかったのです。

 

 

重い心でそのまま保育園に向かい、

 

私が園の門をくぐると、園庭に出て駆け寄ってくる

 

末娘の愛らしい笑顔だけが私の救いでした。

 

悩みぬきながらも、なんとか毎日を過ごしていましたが、

 

いくつものことが積み重なったその結果、

 

 

とうとう我慢の限界を超え、

 

離婚を選ばざるを得ない状況になりました。

 

 

いや、先に離婚を切り出したのは主人のほうでしたが、

 

もしかしたら、主人も、間に挟まれ、

 

疲れていた状況だったのかもしれません。

 

 

その際、最愛の子どもたちを連れて出ることも許されませんでした。

 

 

よく巷で聞く、離婚話ではあると思いますが、

 

離婚に至るまでの経験は、当時の私にとって非常に辛いものでした。

 

 

(思ったよりも長くなったので、また書きたいと思います)