なんとなくコツが掴めてきたみたいですね。この調子で、がんばって

土曜日の7回目の授業の時に先生に言われた。


まだまだコツを掴めた粋には達していないのだけど、右と左どころか、前も後ろ上も下も全っっっく分からずに飛び込んだ1回目の授業の時と比べたら、少しずつだけど要領は掴めてきたのかもしれない。



制限字数内でなんとか正しく翻訳することしか頭に無かった頃から考えたら、今回は一つ一つのセリフや言葉を深く理解することを意識できた気がする。


例えるなら小学校の国語の時間みたい感じだ。

授業では、なぜ作者はこう言ったのか?この時、どんな気持ちだったのか?と、丁寧に深く作品を理解していくけど、翻訳の作業もそれに似ている。



「没問題」というたった一言の訳もどう言う状況で発言してるかで随分訳が変わってくる。

そのまま訳すなら「問題ないわ」とか「いいわよ」とかになるけど、今回の場面は、すっかりヒロインに肩入れしてしまった人が発した一言で、この一言に応援する気ちや励ます気持ちが感じられた。一歩踏み込んだ一言にしたいと思って「きっと大丈夫よ」にした。


また嫌味や冗談などセリフのかけ合いで生まれる妙味は、どう訳したらこのオリジナルの雰囲気が伝わるかなと、正確に訳すことより、場合によってはオリジナルにはない言葉を補足してもその妙味が伝わる事を優先して考えた。


先生が「字幕翻訳の仕事は時にコピーライターだ」とおっしゃっていた意味がようわくわかってきた感じ。


ただし分かってはきたけど、となると中国語の理解力も日本語の語彙力ももっともっと、もっともっと必要だと痛感する日々。