今回で小説「沈黙」シリーズは最終章になります。

 

食口の頭の中にある神の性質と言えば・・・

 

堕落以降、「悲しみの神」「涙の神」となって乞食のようなボロボロな姿で人類を復帰しようと・・・

 

なんていう「悲しみの神」説があります。

 

ただし、これはあくまでも一つの「説」に過ぎません。

しかも、統一教会だけの。

 

旧約聖書を信じるユダヤ教徒たちは神を「怖れ多い神」や「怒れる神」と考えていますし、新約聖書を作ったキリスト教では神は「栄光の神」です。

 

なのでキリスト教から見ると、統一教会の言う「悲しみの神」というのは、人間とは別格の存在である神を人間的な感傷に浸る低俗な存在に貶めるけしからん説とみなされます。

 

神様について私からの結論を言いますと・・・

 

「悲しみの神」という説は、統一教会の壮大な思い込みです(T . T)

 

小説「沈黙」では、クリスチャンである村人が捕らえられ拷問にかけられて殺されていきます。

また、その人たちを人質のようにして宣教師に棄教を迫ります。

 

神のために苦しんでいる信徒がいるのになぜ神は何もしないのか?

なぜ神は「沈黙の神」のままなのか?

 

実は、この発想自体が一神教の傲慢さそのものなのです!Σ(・□・)

 

その傲慢さが自然過ぎてもはや傲慢と一体となっているために気が付かないだけで、一神教信者はある意味「傲慢のかたまり」です。

 

なぜ神様が人間の苦しみや悲しみにだけ寄り添うと思っているのですか?

 

あなたは昨日何を食べましたか?

 

「マックでセットを」

「ケンタッキーフライドチキンを」

 

私たちは肉や魚を平気で食べていますが、それって命そのものではないですか?

 

もはやそんな風にさえ考えもしないくらい、人間以外の命のことを軽んじているのが私たちです。

 

もちろん、他の生き物を何も殺さずに人間が生きていくことは出来ません。

時には、蚊や害虫は躊躇なく始末しますし。

 

ライオンが、シカの子どもを捕まえて食べるのを見ると心を痛める人もいますが、それを神が見て悲しんでいると思う人は普通はいません。

 

自然界では命の循環は当たり前のことです。

 

人間社会は多少複雑ですが、宇宙の大きさや時間の中で見れば、生き物の生死というものは命の循環の一つ一つの過程に過ぎないわけです。

 

人間の命を軽んじるわけではありませんが、牛やニワトリの命を何の良心の呵責もないまま毎日旨い旨いと言って食べている人間が、自分たちの命が宗教を理由に理不尽に奪われたからと言って神様にクレームを言いたくなるというのは都合が良すぎないか?と言っているのです。

 

復帰原理の誤りも指摘しておきます。

 

復帰原理の本質として、目に見えない神があたかも歴史の各時代で中心人物なる存在に働きかけて復帰を進めて来たという内容がありますが、私は「神様は被造世界には一切何の干渉もしない」と考えています。

 

そもそも「堕落」自体さえ存在しないと前々から述べていますが、出来の悪い親であればあるほど子どもの成長過程で干渉をしてしまいます。

私が考える良い親とは、「愛を持って子どもの成長を見守る親」です。

その根底には、親としての子どもに対する信頼と失敗を受け止める寛容さと忍耐力があります。

 

神様は、私たちのような出来損ないの親ではないはずですので、人間がどれだけ失敗しようとも許し受け入れ、いつかは成長してくれると信じて見守ってくれているはずです。

 

そうでない神はたとえ聖書に神と書いてあっても偽物なのです。

原理講論で神の摂理でなんたらかんたらと書いてあるから神だ、などと偽物を信じているから皆さんの良心はいつまで経っても死んだままなのです。

 

宗教は常に何かしらの存在から干渉を受けて始まったり、成り立ったりしてきました。

 

一見、それらは善の存在や本物の神のように見えたかもしれませんが、聖書にある通りその実を見れば木が分かります。

 

前回も述べましたが、神がキリスト教を立てて復帰摂理を進めて来たのではなく、キリスト教は植民地政策や奴隷貿易を広げることに加担し、自分たちの神を信じない異教徒を迫害し時には殺害してきました。

 

もちろん善なるキリスト教徒が多くいることは事実ですが、キリスト教の負の部分が事実としてある以上、キリスト教の神は偽物の神と言わざるを得ませんし、神はキリスト教を立てて摂理などしてきていません。(実際は、本物と偽物の区別が出来ず混在しているので、ある時は善に、またある時は悪に従って行動をしてしまう)

 

皆さんは統一教会を信じているわけですが、それで家族が幸せになれるのであれば多少のゴタゴタはどうこう言いません。

 

ですが、私は統一教会を信じて幸せになっている家庭を見たことがありません。

 

ずっと昔になりますが、享進氏が教会に新しい風を吹かせようとした時に享進氏夫妻の修練会を受けて涙ながらに感動の証をしていた教会の役員とその家族がいました。

 

その後、享進氏は統一教会から異端扱いを受けました。

 

その役員は手のひらを返して享進氏を攻撃するようになりました。

このブログ村でよく見る光景です。

 

この人たちの精神状態が本当に心配になります。

 

以上で、小説「沈黙」のシリーズは終了です。

 

次回のテーマは、「統一教会に幸せはない」(分派も同じ)です( ;∀;)

 

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