安政元年(1854)に開港し、海外から多様な文化を受け入れた街 『はこだて』 。 現在もハイカラな西洋文化溢れる街のなごりが観光資源として多くのお客様を迎えております。
下の写真風景は大正ロマン漂う当時の函館銀座通り。 右手前の「カフェ ダイヤ」 左手の手前から5番目の4階建物「函館日日新聞社」,「酒は涙か溜息・・・」で有名な高橋掬太郎がいたのはココ。
その「函館日日新聞社 社屋」を祖父が購入後に4階部分を切り取り,3階が自宅になり1階2階が「遠藤呉服店」として約70数
年前まで営業しておりまた。
本日,上記の華やかな銀座の同じ場所,今は更地になっている下の地図上の「カフェ ダイヤ」前から確認し撮影したのが下の風景であります。
※参考にした地図は幻洋社発行・冨原 章作成の昭和8年版「函館市街主要図」。
戦前の当時の『遠藤呉服店』
ほんの3年前あった『遠藤呉服店』 跡地
昭和9年の大火までは東京以北最大のハイカラな素敵な都市でありましたが大火の被災にあった方々は東京など函館を離れる方が多くいたと聞いております・・・
現在は過去の財産を高めて人気の観光地になっておりますが,より歴史ある財産を磨いて大勢の人が訪れる街でありたいと思っております・・・(^^♪
新撰組屯所跡地の宿
函館元町ホテル
宿主 遠藤浩司